・・・この贄川の川上、御嶽口。美濃寄りの峡は、よけいに取れますが、その方の場所はどこでございますか存じません――芸妓衆は東京のどちらの方で。」「なに、下町の方ですがね。」「柳橋……」 と言って、覗くように、じっと見た。「……あるい・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・岡村が持って来た清朝人の画を三幅程見たがつまらぬものばかりであった、頭から悪口も云えないで見ると、これも苦痛の一つで、見せろなど云わねばよかったと後悔する。何もかも口と心と違った行動をとらねばならぬ苦しさ、予は僅かに虚偽の淵から脱ける一策を・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・標準ヤニ頓着スルマデモアリマセヌ、タダヤタラニオハナシ体ヲ振廻シサエスレバ、ドコカラカ開化ガ参リマスソウデ、私モマケズニ言文一致デコノ手紙ヲシタタメテ差上ゲマス、今ニ三輪田君ノ梅見ニ誘ウ文、高津君ノ悔ミノ文ナドヲ凌駕スルコトト思召シ下サイ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。日蓮は世相のただならぬことを感じた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・石を載せた板屋根、ところどころに咲きみだれた花の梢、その向こうには春深く霞んだ美濃の平野が遠く見渡される。天気のいい日には近江の伊吹山までかすかに見えるということを私は幼年のころに自分の父からよく聞かされたものだが、かつてその父の旧い家から・・・ 島崎藤村 「嵐」
――こんな小説も、私は読みたい。 A 美濃十郎は、伯爵美濃英樹の嗣子である。二十八歳である。 一夜、美濃が酔いしれて帰宅したところ、家の中は、ざわめいている。さして気にもとめ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・琵琶湖の東北の縁にほぼ平行して、南北に連なり、近江と美濃との国境となっている分水嶺が、伊吹山の南で、突然中断されて、そこに両側の平野の間の関門を形成している。伊吹山はあたかもこの関所の番兵のようにそびえているわけである。大垣米原間の鉄道線路・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・ 別の説として美濃では「ギバは白虻のような、目にも見えない虫だという説がある、また常陸ではその虫を大津虫と呼んでいる。虫は玉虫色をしていて足長蜂に似ている」という記事もある。 以上の現象の記述には、なんらか事実に基づいたものがあると・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・湖上の景色見飽かざる間に彦根城いつしか後になり、胆吹山に綿雲這いて美濃路に入れば空は雨模様となる。大垣の商人らしき五十ばかりの男頻りに大垣の近況を語り関が原の戦を説く。あたりようやく薄暗く工夫体の男甲走りたる声張り上げて歌い出せば商人の娘堪・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・と、声も戦いながら入ッて来て、夜具の中へ潜り込み、抱巻の袖に手を通し火鉢を引き寄せて両手を翳したのは、富沢町の古着屋美濃屋善吉と呼ぶ吉里の客である。 年は四十ばかりで、軽からぬ痘痕があッて、口つき鼻つきは尋常であるが、左の眼蓋に眼張のよ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫