・・・を一色にしようとする努力が無効なものである、という、その平凡な事実の奥底には、普通政治家・教育家・宗教家たちの考えているとはかなり違った、自然科学的な問題が伏在していることが想像されるようである。・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・しかしやっぱり無効であった。はねるたびにあの紡錘形の袋はプロペラーのように空中に輪をかいて回転するだけであった。悪くすると小枝を折り若芽を傷つけるばかりである。今度は小さな鋏を出して来て竿の先に縛りつけた。それは数年前に流行した十幾とおりの・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・ もう一つの場合は、人から何か自分に不利益な誤解を受けて、それに対する弁明をしなければならない時に、その弁明が無効である事がだんだんにわかって来るとする、そういう困難な場合に不意に例の笑いが呼び出される。これは最もぐあいの悪い場合である・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・そうして畳といわず襖といわずはなはだしく古びていた。向こうの藤棚の陰に見える少し出張った新築の中二階などとくらべると、まるで比較にならないほど趣が違っていた。「こんな所にはいっていたのか」と思いながら、自分は茶をのんでしばらく座敷を見回・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・空気、乾湿の度を失い、太陽の光熱、物にさえぎられ、地性、瘠せて津液足らざる者へは、たとい肥料を施すも功を奏すること少なきのみならず、まったく無効なるものあり。 教育もまたかくの如し。人の智徳は教育によりておおいに発達すといえども、ただそ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
苔いちめんに、霧がぽしゃぽしゃ降って、蟻の歩哨は鉄の帽子のひさしの下から、するどいひとみであたりをにらみ、青く大きな羊歯の森の前をあちこち行ったり来たりしています。 向こうからぷるぷるぷるぷる一ぴきの蟻の兵隊が走って来・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ また向こうの、黒いひのきの森の中のあき地に山男がいます。山男はお日さまに向いて倒れた木に腰掛けて何か鳥を引き裂いてたべようとしているらしいのですが、なぜあの黝んだ黄金の眼玉を地面にじっと向けているのでしょう。鳥をたべることさえ忘れたよ・・・ 宮沢賢治 「おきなぐさ」
・・・先達っての選挙のとき、無効になった投票に多くの落首めいたものがあったという噂も、文学の問題としてやはり見落せない事実なのではなかろうか。 森山氏は「日本の詩はどうなるか」という論文の結論で、将来自由律の口語詩が「思想的な文学の、より自由・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
・・・湯槽の向こうには肌ざわりのよさそうな檜の流し場が淡い色で描いてあり、正面の壁も同じように湯気に白けた檜の色が塗られている。右上には窓があって、その端のわずかに開いたところから、庭の緑や花の濃い色が、画面全体を引きしめるようにのぞいている。い・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・室の周囲には書棚が並んでおり、室の中にもいろいろなものが積み重ねてあって、紫檀の机から向こうへははいる余地がないほどであった。客間はこの書斎の西側に続いているので、仕切りは引き戸になっていたと思うが、それは大抵あけ放してあって、一間のように・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫