・・・「感心に中々勇敢だな。」「まだ背は立っている。」「もう――いや、まだ立っているな。」 彼等はとうに手をつながず、別々に沖へ進んでいた。彼等の一人は、――真紅の海水着を着た少女は特にずんずん進んでいた。と思うと乳ほどの水の中に・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ 菊池はそういう勇敢な生き方をしている人間だが、思いやりも決して薄い方ではない。物質的に困っている人たちには、殊に同情が篤いようである。それはいくらも実例のあることだが公けにすべき事ではないから、こゝに挙げることは差し控える。それから、・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・ 自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦、理性と信仰、――その他あらゆる天秤の両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・私は外套のポッケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う元気さえ起らなかった。 が、やがて発車の笛が鳴った。私はかすかな心の寛ぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさり・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・階級といい習慣といい社会道徳という、我が作れる縄に縛られ、我が作れる狭き獄室に惰眠を貪る徒輩は、ここにおいて狼狽し、奮激し、あらん限りの手段をもって、血眼になって、我が勇敢なる侵略者を迫害する。かくて人生は永劫の戦場である。個人が社会と戦い・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・なかなか勇敢に闘ったもんだ。この世界は広いけれど、ほんとうに俺たちの相手となるようなものは少ない。はじめから死んでいるも同然な街の建物や、人間などの造った家や、堤防やいっさいのものは、打衝っていっても、ほんとうに死んでいるのだから張り合いが・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ お日さまが、毎日、西の空へ沈みなさる時分から、一日も欠かしたことなく、私の下に立って夕刊を売る子供を、お日さまはごらんになったことはありませんか。 まだ、やっと十か、十一になったばかりであります。ひどい雨の降らないかぎりは、風の吹・・・ 小川未明 「煙突と柳」
・・・つぎにりこうなSがんと、勇敢なKがんがつづきました。そして、しんがりを注意深いBがんがつとめ、弱いものをば列の真ん中にいれて、長途の旅についたのであります。 冬へかけての旅は、烈しい北風に抗して進まなければならなかった。年とったがんは、・・・ 小川未明 「がん」
・・・言い換えれば人間愛に対してどれ程までに其の作家が誠実であり、美に対してどれ程までに敏感であり、正義に対してどれ程までに勇敢に戦うかということにある。 事件の異常なる場合に際して、私達のそれに出遇った時の感情や、意志がまた著しく働くという・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・はいつもの饒舌癖がかえって大阪の有閑マダムがややこしく入り組んだ男女関係のいきさつを判らせようとして、こまごまだらだらと喋っているという効果を出しているし、大阪弁も女専の国文科を卒業した生粋の大阪の娘を二人まで助手に雇って、書いたものだけに・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫