・・・我輩が茲に鄙陋不品行の風と記したるは、必ずしも其人が実際に婬醜の罪を犯したる其罪を咎むるのみに非ず、平生の言行野鄙にして礼儀上に忌む可きを知らず、動もすれば談笑の間にもあられぬ言葉を漏らして、当人よりも却て聞く者をして赤面せしむるが如き、都・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・饗礼は鄭重にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・だけれど、男の側から見かけだけは荒っぽく扱われている日本の女こそ、習俗の上で見かけの礼儀や丁寧さのこまやかな欧米の男にだまされやすいということは、外見だけの荒っぽさと称される境遇が、それだけ女の心を、外見のねんごろさにさえもろくしている深刻・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・大名生活を競って手のこんだ粉飾と礼儀と華美をかさねたその場面が、婦女の売買される市場であったということは、封建的社会での女のありかたをしみじみと思わせる。君とねようか千石とろか、ままよ千石、君とねよと、権利ずくな大名の恋をはねつけ、町人世界・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・親方シュミットの家庭の日常の空気が、職人たちをもちゃんとした独立市民として、礼儀と尊敬とをもって待遇する習慣であったことを物語っている。親方とその子供らと、働いている人々の間に間違った身分の差別が存在しなかった。従って小さい息子や娘ケーテの・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 家族が皆じっとして据わっていて、起って客を迎えなかったのは、百姓の礼儀を知らない為めばかりではなかった。 診断は左の足を床の上に運ぶ時に附いてしまった。破傷風である。 花房はそっと傍に歩み寄った。そして手を触れずに、やや久しく・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・と読んだ時、木賃宿でも主従の礼儀を守る文吉ではあるが、兼て聞き知っていた後室の里からの手紙は、なんの用事かと気が急いて、九郎右衛門が披く手紙の上に、乗り出すようにせずにはいられなかった。 敵討の一行が立った跡で、故人三右衛門の未亡人・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・その理由とする所を聞けば、あの二人は隔てのない中に礼儀があって、夫婦にしては、少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。 二人は富裕とは見えない。しかし不自由はせぬらしく、又久右衛門に累を及ぼすような事もないらしい。殊に婆あさんの方・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・すなわち民族全体は、最も小さい子供から最も年長の老人に至るまで、その身ぶり、動作、礼儀などに、自明のこととして明白な差別や品位や優美などを現わしていた。王侯や富者の家族においても、従者や奴隷の家族においても、その点は同じであった。 フロ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・因襲的な礼儀をぬきにして、いきなり漱石に会えたような気持ちがした。たぶんこの時の印象が強かったせいであろう。漱石の姿を思い浮かべるときには、いつもこのきちんとすわった姿が出てくる。実際またこの後にも、大抵はすわった漱石に接していた。だから一・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫