この小説の最後の一行を読み終って、さてと心にのこされたものをさぐって見ると、それは作者がカソリック精神で表現している「死の意味」への納得ではなくて、死というものをもこれだけに追究しとり組んで行く、人間の生きてゆく姿の感銘で・・・ 宮本百合子 「生きてゆく姿の感銘」
・・・はフランスのカソリック精神と人間の情熱とアフリカの沙漠とを結びつけた平凡な一つの作品であった。ラテン文化はアフリカを植民地化そうとした時から文化芸術の面でのアフリカのロマンティック化に従事して来ているのである。 今日イタリーで云われてい・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・参議院の考査委員会は、永井隆氏を表彰しようという案を発表したが、六月十二日、七月三日の週刊朝日は、カソリック教徒であるこのひとの四つの著書が、それぞれにちがった筆者であるというようにいっている。 記録文学のあるものは、クラブチェンコの「・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・バイブルに、男女は差別ある賃銀を、と書いてはなかろうが、カソリック教徒である日本の文相は、それらを教員たちとの係争点にしている。あらゆる市民が半封建的なものからの離脱を努力しているとき、文学もブルジョア民主主義的立場からの面をもたないわけに・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・一九一四年、大戦がヨーロッパの思想的支柱をゆり動かしはじめた時、ポール・クロオデルは飽きることのない執拗さで、清教徒であることをやめたジイドをカソリックへ引っぱり込もうとした。「法王庁の抜穴」を書き終ったところであったジイドは、この宗教的格・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・日本の美といえば京都、奈良、お濠の景色というのは、ものを知らない観光客だけではない。カソリック詩人のポール・クロウデルも、日本に来たときは、お濠の石垣を詩につくったし、日本の柳、三味線、徳川時代の服装の女を配した夢幻劇をつくった。日本の女の・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・ この期間は、今日になって眺めるとバルザックのさして永くない生涯にとって、最も急テムポに彼の政治上の王党派的傾向とカソリック精神とが堅められた時代であった。然しながら、この頽廃的で奢侈な公爵夫人との恋愛とその感化によって恐るべき浪費をし・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ただ、必要な場合の医療的処置としてうけ入れていたのであったが、昨今は急に産児を制限する範囲のことは賢い親の義務の一つであるとして、カソリックの坊さんまで、結婚しようとする若い男女の民衆に忠言するようになって来ている。アメリカでは家族の人員に・・・ 宮本百合子 「夜叉のなげき」
出典:青空文庫