・・・ ストーブの暖い、上の水皿から湯気のぼうぼう立つまわりに、大勢成人や自分くらいの人々がい、独りぼっちで入って来た自分を驚いたように見る。――自分が試験されるのだから、母などは、ついて来るものとも思っていなかったのである。が、この光景を見・・・ 宮本百合子 「入学試験前後」
・・・今のストーブとまでには発達しないごく雑な彫刻のある石板で四方をかこんだ窪い所に太い木の株を行儀よくかさねてある、その木と木の間から赤い焔が立ちのぼる。反対の側には槍や剣。甲冑が厳めしく行列して居る。中央には卓子が有って王の手まわ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ 二十歳のバルザックはレディギュール通りの屋根裏で、ストーブもたけず、父親の古外套で慄える体をくるみながら、ひどい勢で先ず幾つかの喜歌劇を書いた。喜劇「二人の哲学者」というのも書いた。けれども、その時分は、ただ筆蹟がきれいだということ位・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・静に一つ一つ、間を置いては突き鳴らす音が、微に、ストーブの燃える音、笑い声を縫って通って来るのである。 皆、他の人は心付かないように見えた。けれども、自分は、手に賑やかな骨牌を持ち、顔は明るく笑い乍ら、何とも云われない魂の寂寥を覚えた。・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・高杉早苗の新婚旅行の首途に偶然行きあわせたと云って、翌朝は工場のストーブのかげで互に抱き合い泣かんばかりに感激する娘たちの青春に向って、その境遇さながら、最もおくれた感情内容を最新の経済と科学の技術で結び合わした情熱の消耗品がうりだされてい・・・ 宮本百合子 「観る人・観せられる人」
・・・美くしい形にきられたストーブには富と幸福を祝うように盛に火がもえて居ます。マーブルのような女の美くしい頬にてりそってチラチラして居ます。女「寒かったでしょう、早くあったかくなってそして人の世の話をきかせてちょうだい」 女はぬれたみど・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
・・・ 大きな机に向って、燃え落ちた黒いストーブを眺めながら、彼女は殆ど夜に圧しすくめられるように成って、彼の事を思うのである。 ○段々夜あけが近づいて来るにつれて、今まで灰色だった鈍重な窓がらすはいつか透明なコバルト色になり、その堅・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
午後六時 窓硝子を透して、戸外の柔かい瑠璃色の夕空が見える。 朝は思いがけなく雪が降って、寒い日であった。 泰子は、チロチロと焔の揺れる、暖かい食堂のストーブの傍のディブァンに坐って、部屋の有様を眺めて居た。・・・ 宮本百合子 「われらの家」
・・・あの大きなストーブを囲み祖父さんが孫に取り巻かれて昔話に興をやる。夫婦はこの一日の物語に疲れを忘れて互いに笑みかわす。楽しき家庭があればこそ朝より夕まで一息に働いた。暖かき家庭には愛が充つ。愛の充つ所にはすべての徳がある。宇宙の第一者に意識・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫