・・・ 十年来むし込んでおいた和本を取り出してみたら全部が虫のコロニーとなって無数のトンネルが三次元的に貫通していた。はたき集めた虫を庭へほうり出すとすずめが来て食ってしまった。書物を読んで利口になるものなら、このすずめもさだめて利口なすずめ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・山の両側から掘って行くトンネルがだんだん互いに近づいて最後のつるはしの一撃でぽこりと相通ずるような日がいつ来るか全く見当がつかない。あるいはそういう日は来ないかもしれない。しかし科学者の多くはそれを目あてに不休の努力を続けている。もしそれが・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・せんだってトンネルと云う字を知っているかと聞た。それから straw すなわち藁という字を知っているかと聞た。英文学専門の留学生もこうなると怒る張合もない。近頃は少々見当がついたと見えてそんな失敬な事も言わない。また一般の挙動も大に叮嚀にな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。 ところが間もなく又木のかぶさった処を通・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・と云いながら楢夫はそこらを見ましたが、もう今やって来たトンネルの出口はなく、却って、向うの木のかげや、草のしげみのうしろで、沢山の小猿が、きょろきょろこっちをのぞいているのです。 大将が、小さな剣をキラリと抜いて、号令をかけました。・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・木がいっぱい生えているから谷を溯っているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いているというふうで・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・外から入ると、トンネルのように長く真暗に思える省内の廊下に面した一つのドアをあけると、内部をかくすように大きい衝立が立っている。その衝立をまわって、多勢の係員のいるところから、また一つドアがあって、その中に課長が一人でいた。デスクにむかい、・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ 勝浦のトンネルとトンネルの間で、丁度昇りかけようとする月をちらりと見た。鵜原は太平洋のナポリと或人が云ったので、令子はその巖と海との月を心に描いて来たのであった。 鵜原で汽車を降り、宿を駅夫に訊いたら、「あの巡査さんが途中まで・・・ 宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
・・・によって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋ばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的な・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・それから鎌倉の方に行くものを誘い、歩いて、トンネルくずれ、海岸橋陥落のため山の方から行く。近くに行くと、釣ぼりの夫婦がぼんやりして居る。つなみに家をさらわれてしまったのだそうだ。倉知の方に行くと門は曲って立ち、家、すっかり、玄関の砂利の方に・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫