・・・そンかわりにゃあまた、いいつけられたことはハイ一寸もずらさねえだ。何でも戸外へ出すことはなりましねえ。腕ずくでも逢わせねえから、そう思ってくれさっしゃい。」 お通はわっと泣出しぬ。 伝内は眉を顰めて、「あれ、泣かあ。いつもねえこ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・鵜島まではなん里くらいありますなど話しかけてみたが、娘はただ、ハイハイというばかり、声を聞きながら形は見えないような心持ちだ。段ばしごの下から、「舟がきてるからお客さまに申しあげておくれ」というのは、主人らしい人の声である。飯がすむ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・「おとよさん、おとッつさんが呼んでいますよ」 枝折戸の近くまで来てお千代は呼ぶ。「ハイ」 おとよは押し出したような声でようやくのこと返辞をした。十日ばかり以前から今日あることは判っているから充分の覚悟はしているものの、今さら・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「真実に貴下はお可哀そうですねエ」と、突然お正は頭を垂れたまま言った。「お正さん、お正さん?」「ハイ」とお正は顔を上げた。雙眼涙を含める蒼ざめた顔を月はまともに照らす。「僕はね、若し彼女がお正さんのように柔和い人であったら、・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・「まさかそんなことまでもは言われも為まいけれど」 一時間立たぬうちに升屋の老人は帰って来て、「甘く行ったよ」と座に着いた。「どうも御苦労様でした」「ハイ確かに百円。渡しましたよ。験ためて下さい」と紙包を自分の前に。「・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・』『ハイ僕は非常に好きでございます。』『だれに習った、だれがお前に孟子を教えた。』『父が教えてくれました。』『そうかお前はばかな親を持ったのう。』『なぜです、失敬じゃアありませんか他人の親をむやみにばかなんて!』と僕はやっきになった。『・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・「だって先生はそう言ったじゃありませぬか。」と母親は目をすえて私の顔を見つめました。「六さんはたいへん鳥がすきであったから、そうかも知れないと私が思っただけですよ。」「ハイ、六は鳥がすきでしたよ。鳥を見ると自分の両手をこう広げて・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・その詩や、ハイネ、ゲーテの訳詩に感心したのでもない。が、その編纂した泰西名詩訳集は私の若い頃何べんも繰りかえしてよんだ書物であった。 春月と同年の生れで春月より三年早く死んだ芥川龍之介は、、私くらいの年恰好の者には文学の上でも年齢の上で・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・「撃てッ! 撃てッ! パルチザンを鏖にしてしまうんだ! うてッ! うたんか!」 士官は焦躁にかられだして兵士を呶鳴りつけた。「ハイ、うちます。」 また、弾丸が空へ向って呻り出た。「うてッ! うてッ!」「ハイ。」 ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・「ハイ。」「は。」「は。」 呼ばれた顔は一ツ一ツ急にさッと蒼白になった。そして顔の筋肉が痙攣を起した。「ハイ。」 栗本はドキリとした。と、彼も頬がピク/\慄え引きつりだした。「今、ここに呼んだ者は、あした朝食後退・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫