・・・サルトルは絵描きが裸体のデッサンからはいって行くことによって、人間を描くことを研究するように、裸かの肉体をモラルやヒューマニズムや観念のヴェールを着せずに、描いたのだ。そして、人間が醜怪なる実存である限り、いかなるヴェールも虚偽であり、偽善・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・新しい社会性の上に立って文学の仕事に進もうとする人々に、スケッチや報告文学をかくことから導いているプロレタリア文学の方法は、この意味で文化の現実に即し、新たな文化のヒューマニズムに立っているのである。同時に、既に十分の技術をもっている作家が・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・生活と闘いの達人となってゆこうと努力しているわたしたちにとって、理論と行動、思想性と階級性というようなものは、ひっくるめた新しいヒューマニズムとして、すっかり身体の中に入ってしまっていて、それはわたしたちのリズムであり、センスであるところま・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ パリの文化擁護の大会ニュースは、混迷停滞しきっていた当時の日本の文化人、文学者に、新しいヒューマニズムの希望を与えた。新しいヒューマニズム、その能動精神、その行動性という観念がよろこび迎えられて、間もなく雑誌『行動』がうまれ、舟橋聖一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・「文化遺産」「社会における作家の役割」「個人」「ヒューマニズム」「民族と文化」「創作上の諸問題と思想の尊厳」「組織の問題」「文化の擁護」の諸課題について討論されたのであった。 第二回の文化擁護国際作家大会は、一九三七年十月、内乱のスペイ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ ヒューマニズムの提唱が総て非人間的な抑圧に抗するものとしての性質をもっているからには、文学に関して云われている社会性のことも、以上のことと全然切りはなしては考えられないのである。 作家が、作家となる最も端緒的な足どりは周囲の生活と・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・現代文学が主題とするヒューマニズム探求の一環として見た場合、D・H・ローレンスの文学は、こんにちの現実を解明するためにローレンス氏方式ではすでに不十分であることを、明かにして来ているのである。 敗戦後の日本に、肉体派とよばれる一連の文学・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・では、当時文壇や一般知識人の間に問題とされていた思想の諸課題、例えばヒューマニズムの問題、知性の問題、科学性の問題などをそのまま職場へ携帯して行って、そこでの現実の見聞、情景、插話の中から、携帯して行った観念を背負わせるにふさわしいと思われ・・・ 宮本百合子 「「結婚の生態」」
・・・ 最悪の運命の瞬間に、八千五百万の利用できる人々としてカタメられることを拒絶するために、カタマル人民、メダカの精神とその発言のうちに現代史のヒューマニズムがある。 外面の卑下と内面の優越をもって「であります」調の私的評論が流行したのも一・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・などでは、当時文壇や一般に課題とされていた知性の問題、科学性の問題、ヒューマニズムの問題などを、ちゃんと携帯して現地へ出かけて行って、そこでの見聞と携帯して行った思想とを一つの小説の中に溶接して示そうとした。 この作品は他の理由から物議・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
出典:青空文庫