・・・三 春のラテン語が ver であるが、ポルトガル語の vero は夏である。ペルシアの春は bahr, 蒙古語では h'abor である。ドイツ語の Frhling は frh から来たとすればこれはfとrである。かなで・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・しかし、ずっと前に同じような断片群にターナーの画帖から借用した Liber Studiorum という名前をつけたことがあったが、それを文壇の某大家が日刊新聞の文芸時評で紹介してくれたついでに「こんなラテン語の名前などつけるものの気が知れな・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 入学証書と云ったような幅一尺五寸長二尺ほどの紙に大きな活字で皇帝や総長の名を黒々と印刷したものを貰ったが文句はラテン語で何の事か分らない、見ていると気の遠くなるようなものであった。日附の所に D. Berolini d. 19. me・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・簡単なラテン語の名前のつくような病気にはかかっていない時でも、なんとなしに自分のからだをやっかいな荷物に感じない日はまれである。ただ習慣のおかげでそれのはっきりした自覚を引きずり歩かないというだけである。それで自分は、ちょうど色盲の人に赤緑・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・*2「少くともラテン語は読まなければいけない。」*3「哲学者は煙草を吸わざるべからず。」 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・それはラテン語の詩句や、歴史の年代、或いは数学の与件を、大声で云って見ずにはいられない子供たちの声なのである」その騒々しいなかでも、一旦或ることに注意をあつめたら最後、マーニャの気を外へ散らすということは、どんないたずら巧者の姉たちの腕にも・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・書庫には、出島和蘭屋敷の絵巻物、対支貿易に使用された信牌、航海図、きりしたんころびに関する書つけ、シーボルトの遺物、フェートン号の航海日誌、羅馬綴の日本語にラテン語を混えた独特な趣味あるミッション・プレス等々価値あるものが沢山ある。 其・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・だからラテン語で書かれたその頃の文学は、どんな馬子によっても書かれなかった。ただ僧侶のものだった。当時は文盲の王があり貴族があった。 日本の現在までの婦人作家が、どういう階級から出て来ているかということを考えても、事実は一目瞭然だ。・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・ 少女としてのフロレンスの明け暮れは、上流家庭の娘たちがみなそうであったように立派な家庭教師についてフランス語、ラテン語などの語学を勉強したり、音楽、舞踊、絵画、手芸などをはじめ、若い貴婦人として社交界に出たとき、狩猟の折にこまらないよ・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・即ち英国の旺盛な植民地拡張時代をしめす符牒のようなラテン語がきざんである。広い石段を上下する人間は気ぜわしい往復の爪先で広場の鳩を追い散した。広場はガラス張だ。――下が地下電車の停車場なのだ。一九一四―一九一九年大戦に於て彼らの皇帝並帝国に・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫