・・・次女モニカはハンガリーの美術史家の妻。三男ミハエルはヴァイオリニスト。末娘のエリザベート・マンがピアニストで、イタリーの反ファシスト評論家ボルゲーゼと結婚しているそうである。 内山氏の紹介によると、エリカ・マンは一九〇五年生れで、日本流・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・日本の民主化が言われはじめた時、青年達は自分の家庭の生活を顧みて、日本の家族制度が動かすことの出来ない段々のように一家の中に刻みつけている戸主、長男、次男、三男の身分の違いを何と思ったろう。戦争や戦災で家を失い、又は夫を失って、実家へ子供を・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・父は母の永年の労をねぎらうためと、一九二八年八月一日に三男英男が自分から生命を断った、その悲愁から母の心持を転換させようとこの旅行を企てたのであった。母は一九三四年六月十三日に持病糖尿病から肺エソになって没した。後、母の残した日記を集めて「・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・特に昭和三年、三男英男を失ってから、母は以前にもまして自身の情熱を文章として表現したいという熱望を抱くようになったとともに、既にその頃は糖尿病が重り、視力衰弱して読書執筆については全く不如意な健康状態におかれていたのであった。それにもかかわ・・・ 宮本百合子 「葭の影にそえて」
・・・京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・順次の養子熊喜は実は山野勘左衛門の三男で、合力米二十石を給わり、中小姓を勤め、天保八年に病死した。熊喜の嫡子衛一郎は後四郎右衛門と改名し、玉名郡代を勤め、物頭列にせられた。明治三年に鞠獄大属になって、名を登と改めた。景一の五男八助は三歳の時・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠はちょうどこの年に生まれ、四男福松丸(忠吉はその翌年に生まれた。それから中一年置いて、家康が多年目の上の瘤のように思った小山の城が落ちたが、それはもう勝頼の滅びる悲壮劇の序幕であった。 武田の滅びた天・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫