・・・こういう次第で心内には一も確固不動の根柢が生じない。不平もある、反抗もある、冷笑もある、疑惑もある、絶望もある。それでなお思いきってこれを蹂躙する勇気はない。つまりぐずぐずとして一種の因襲力に引きずられて行く。これを考えると、自分らの実行生・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・直立不動の姿勢でもってそうお願いしてしまったので、商人、いいえ人違いですと鼻のさきで軽く掌を振る機会を失い、よし、ここは一番、そのくぼたとやらの先生に化けてやろうと、悪事の腹を据えたようである。 ――ははは。ま。掛けたまえ。 ――は・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・高橋君は、すぐ編輯長に呼ばれて、三時間、直立不動の姿勢でもって、説教きかされ、お説教中、五たび、六たび、編輯長をその場で殺そうと決意したそうでございます。とうとう仕舞いには、卒倒、おびただしき鼻血。私たち、なんにも申し合わせなかったのに、そ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・熊本君は、お金を受け取り、眼鏡の奥の小さい眼を精一ぱいに見開いて、直立不動の姿勢で言った。「たしかに、おあずかり致します。他日、佐伯君の学業成った暁には、――」「いや、それには及びません。」私は、急に、てれくさくて、かなわなくなった。お・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 千たび語りても、なお、母は巌の如く不動ならば、――ばかばかしい、そんなことないよ、何をそんなに気張っているのだ、親子は仲良くしなくちゃいけない、あたりまえの話じゃないか。人の力の限度を知れ。おのれの力の限度を語れ。 私は、・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・ それだから年号と年数と干支とを併記して或る特定の年を確実不動に指定するという手堅い方法にはやはりそれだけの長所があるのである。為替や手形にデュープリケートの写しを添えるよりもいっそう手堅いやり方なのである。 年の干支と同様に日の干・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかるに鉢の底面からは相当離れた所に固定しているコップは不動であるから、そこで相互間の週期的の摩擦運動が起こり、そのためにちょうど弓でクラドニ板をこする場合に似た事がらが生ずるのであるらしい。さてこれだけならば問題ははなはだ平凡であるが、こ・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・プトレミー派の学者は地球を不動と考えて、太陽は勿論其の他の遊星も皆その周囲を運行するものと考えた。後にコペルニカスの地動説が出て前説よりも遥かに簡単に天体の運動を説明し得る事が分り、ケプレル、ニュートンを経ていよいよ簡単な運動の方則で天体の・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・忠義一図の御飯焚お悦は、お家に不吉のある兆と信じて夜明に井戸の水を浴びて、不動様を念じた為めに風邪を引いた。田崎が事の次第を聞付けて父に密告したので、お悦は可哀そうに、馬鹿をするにも程があるとて、厳しいお小言を頂戴した始末。私の乳母は母上と・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ばかり鳴し立てている櫓舟に乗り、石川島を向うに望んで越前堀に添い、やがて、引汐上汐の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下を横ぎり、越中島から蛤町の堀割に這入るのであった。不動様のお三日という午過ぎなぞ参詣戻りの・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫