・・・見習弟子はもう二十歳になっていて、白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君の肢態に、狂わしいほど空しく胸を燃やしていたが、もともと彼は気も弱くお君も問題にしなかった。 五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難で・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 二 母性愛 私の目に塵が入ると、私の母は静かに私を臥させて、乳房を出して乳汁を目に二、三滴落してくれた。やわらかくまぶたに滲む乳汁に塵でチクチクしていた目の中がうるおうて塵が除れた。 亡くなった母を思い出すたび・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・婦燭を執りて窟壁の其処此処を示し、これは蓮花の岩なり、これは無明の滝、乳房の岩なりなどと所以なき名を告ぐ。この窟上下四方すべて滑らかにして堅き岩なれば、これらの名は皆その凸く張り出でたるところを似つかわしきものに擬えて、昔の法師らの呼びなせ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ と言って、姪は幾人もの子供を生んだことのある乳房を小さなものにふくませながら話した。そんなにこの人は気の置けない道づれだ。「そう言えば、太郎さんの家でも、屋号をつけたよ。」と、私は姪に言ってみせた。「みんなで相談して田舎風に『よも・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その児は乳房を押えて飲むほどに成人していた。「俺にもおくれやれ」と鞠子は母が口をモガモガさせるのに目をつけた。「オンになんて言っちゃ不可の。ね。私に頂戴ッて」 お島はなぐさみに鯣を噛んでいた。乳呑児の乳を放させ、姉娘に言って聞か・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・あたしたちの乳房からはもう、一滴の乳も出ないんだよ。からの乳房をピチャピチャ吸って、いや、もうこのごろは吸う力さえないんだ。ああ、そうだよ、狐の子だよ。あごがとがって、皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いているんだ。見せてあげましょうかね。それ・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・ アグリパイナには乳房が無い、と宮廷に集う伊達男たちが囁き合った。美女ではなかった。けれどもその高慢にして悧※、たとえば五月の青葉の如く、花無き清純のそそたる姿態は、当時のみやび男の一、二のものに、かえって狂おしい迄の魅力を与えた。・・・ 太宰治 「古典風」
・・・縮緬のすらりとした膝のあたりから、華奢な藤色の裾、白足袋をつまだてた三枚襲の雪駄、ことに色の白い襟首から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房だと思うと、総身が掻きむしられるような気がする。一人の肥った方の娘は懐からノートブッ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・純な子供の心はこの時に完全に大自然の懐に抱かれてその乳房をしゃぶるのである。 楊梅も国を離れてからは珍しいものの一つになった。高等学校時代に夏期休暇で帰省する頃にはもういつも盛りを過ぎていた。「二、三日前までは好いのがあったのに」という・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・しかしそれから数時間の後に行って見ると、だれかが押し入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に三毛が横に長くねそべって、その乳房にこの子猫が食いついていた。子猫はポロ/\/\とかすかに咽喉を鳴らし、三毛はクルークルーと今ま・・・ 寺田寅彦 「子猫」
出典:青空文庫