・・・ すっと教室へ入って来て、生徒の一人である乾物屋の娘に何か書いたものを渡した。こちらからその光景を眺め、受持の先生も、家へかえれば主婦なのだからそのかんで、ハハア玉子のことでもたのんでいるな、と察した。乾物屋の娘はもとその先生に習った子・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
高札 いつも通る横丁があって、そこには朝鮮の人たちの食べる豆もやし棒鱈類をあきなう店だの、軒の上に猿がつながれている乾物屋だの、近頃になって何処かの工場の配給食のお惣菜を請負ったらしく、見るもおそろし・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・三 この二三年らい日本のあらゆる事情が激変しているが、特に昨今は物価の乱調子な気ぜわしない上り下りや様々の必需品の不揃い不安定な状態も、切実に生活感情のうちにそのかげをうつしているのだと思う。乾物屋が店の玉子の値段がきに四十とだけ書・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・雨戸を一枚だけ明けた乾物臭い暗い奥から、汚れた筒っぽ袢纏を着た女房が首を出した。 なるほど天城街道は歩くによい道だ。右は冬枯れの喬木に埋った深い谷。小さい告知板がところどころに建っていて、第×林区、広田兵治など書いてある。その、炭焼・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
これまで、今時分の東京の乾物屋の店先にこんなに種々様々にあしらわれて鰊が並んだことがあっただろうか。 身がきにしんの束がそこにあるわきで、小僧と娘さんとが、その身がきにしんにドロリとした黒いたれをつけて焼いている。その・・・ 宮本百合子 「諸物転身の抄」
・・・その雁金の存在と醤油製造、乾物製造についての発明の過程や、久内の父である山下博士の雁金に対する学閥を利用しての資本主義的悪策など、それらがわたしたちの現実の見かたから批判すれば、リアリティーをもって描かれていないと批評したところで、作者横光・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・色さまざまの干物の一杯ある家屋の裏。汽車は高いところを走っているから、そういうゴミゴミした大都会の入口の町並一帯の直ぐ向うの広いコンクリの改正通りには均斉を保って街燈が立連り、トラックなどが走っているのまで、車窓からつきとおしに見渡せるので・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
・・・私にはたまたま名ばかりでなくて物が見られても、干物しか見られなかった。これが私のサフランを見た初である。 二三年前であった。汽車で上野に着いて、人力車を倩って団子坂へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵を敷い・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・りくねッたさも悪徒らしい古木の洞穴には梟があの怖らしい両眼で月を睨みながら宿鳥を引き裂いて生血をぽたぽた…… 崖下にある一構えの第宅は郷士の住処と見え、よほど古びてはいるが、骨太く粧飾少く、夕顔の干物を衣物とした小柴垣がその周囲を取り巻・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・個性が何だ、自己が何だ、永遠の生が何だ、それらはふくよかな女の乳房一つにも価しない。乾物のような思想と言葉とを振り捨てて、汝の心奥の声を聞け。汝の核実は、汝の本能は、生の美しさをのみ求めているだろう。肉の delicacy 感覚と感情の酔歓・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫