・・・「まあせっかくだから、これはありがたく頂戴しておくが、これからはね、どうか一切こういうことはやめにして……それでないと、親類付合いに願うはずのがかえって他人行儀になるから……そう、親類付合いと言や」とお光を顧みて、「お前、お仙ちゃんの話・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿であった坂田の一生には、随分横紙破りの茶目気もあったし、世間の人気もあったが、やはり悲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・併し斯うした商売の人間に特有――かのような、陰険な、他人の顔を正面に視れないような変にしょぼ/\した眼附していた。「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・自分は自分の愛するものは他人も愛するにちがいないという好意に満ちた考えで話をしていたと思っていた。しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、言わば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたよ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それだっても、他人ではありませぬか。と思いありげなる娘の顔。うむ、分った。綱雄を贔負せぬのが気に入らぬというのか。なるほどそれは御もっともの次第だ。いやもう綱雄は見上げた男さ。お前のいう通り若くて上品で、それから何だッけな、うむその沈着いて・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ かかる際にお花と源造に漢書の素読、数学英語の初歩などを授けたが源因となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年を集めて私塾のようなものでも開いたら、自分のためにも他人のためにもなるだろうとの説が人々の間に起こって、兄も無・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・リップスの感情移入の説はそのよき弾機であろう。他人の顔にある表情があらわれるのを見ると、同じ表情がわれ知らず自分にあらわれる本能的傾向が人間にはある。現在それが悲哀の表情であれば、自ら悲哀を感じる。これは他人の内生を共生すること、すなわち同・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・上等兵の表情には、これまで、病院で世話になったことのないあかの他人であるような意地悪く冷酷なところがあった。 こういう態度の豹変は憲兵や警官にはあり勝ちなことだ。憲兵や警官のみならず、人間にはそういう頼りにならぬ一面が得てありがちなこと・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・即ち輪講をして窘められて、帳面に黒玉ばかりつけられて、矢鱈に閉口させられてばかり居たぎりで、終に他人を閉口させるところまでには至らずに退塾って仕舞いましたのです。 幸田露伴 「学生時代」
・・・ところが上田のお母アは、午後の三時になると、きまって特高室に出掛けて行って、キャンキャンした大声でケイサツを馬鹿呼ばりし、自分の息子を賞め、こんなことになったのは他人にだまされたんだと云い、息子をとられて、これからどう暮して行くんだ――それ・・・ 小林多喜二 「母たち」
出典:青空文庫