・・・ この時わが胸を衝きて起こりし恐ろしき想いはとても貴嬢の解したまわぬ境なり、またいかでわが筆よくこれを貴嬢に伝え得んや。試みに想い候え、十蔵とは奸なる妻のために片目を失いし十蔵なり、妻なく子なく兄弟なく言葉少なく気重く心怪しき十蔵なり。・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・じ宗教的日本主義者として今日彼に共鳴するところの多い私が、私の目をもって見た日蓮の本質的性格と、特殊的相貌の把握とを、今の日本に生きつつある若き世代の青年たちに、活ける示唆と、役立つべき解釈とによって伝えたいと思うのである。 ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたという家を私も二軒知っているが、そのいずれもが剛慾で人の持っているものを叩き落してでも自分が肥っていこうという家であったのを見ると、海賊というものにも、たゞ者を掠めとる一・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・のもあり、また滝へ直接にかかれぬものは、寺の傍の民家に頼んでその水を汲んで湯を立ててもらって浴する者もあるが、不思議に長病が治ったり、特に医者に分らぬ正体の不明な病気などは治るということであって、語り伝えた現の証拠はいくらでもある。君の病気・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・初生の人類より滴々血液を伝え来れる地球上譜※の一節である。近時諸種の訳書に比較して見よ。如何に其漢文に老けたる歟が分るではない乎。而して其著「理学鈎玄」は先生が哲学上の用語に就て非常の苦心を費したもので「革命前仏蘭西二世紀事」は其記事文の尤・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・りぎり決着ありたけの執心をかきむしられ何の小春が、必ずと畳みかけてぬしからそもじへ口移しの酒が媒妁それなりけりの寝乱れ髪を口さがないが習いの土地なれば小春はお染の母を学んで風呂のあがり場から早くも聞き伝えた緊急動議あなたはやと千古不変万世不・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・私は太郎から聞いて来た返事を次郎に伝えて、いよいよ郷里のほうへ出発するように、そのしたくに取り掛からせることにした。「次郎ちゃん、番町の先生のところへも暇乞いに行って来るがいいぜ。」「そうだよ。」 私たちはこんな言葉をかわすよう・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・暮れて行く空や水や、ありやなしやの小島の影や、山や蜜柑畑や、森や家々や、目に見るものがことごとく、藤さんの白帆が私語く言葉を取り取りに自分に伝えているような気がする。 と、ふと思わぬところにもう一つ白帆がある。かなたの山の曲り角に、靄に・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・と私は、駈引きも小細工も何もせず、署長から言われた事をそのまま伝えて、「のう、圭吾も心得違いしたものだが、しかし、どんな人でも、いちどは魔がさすというか、魔がつくというか、妙な間違いを起したがるものだ。これは、ハシカのようなもので、人間の持・・・ 太宰治 「嘘」
・・・先ずこんなわけで、いつの間にかポルジイは真面目にドリスに結婚を申し込んだと云う噂が伝えられた。 これはひどく人の耳目を聳動した。尤もこれに驚かされたのは、ストロオガツセなる伯爵キルヒネツゲル家の邸の人々である。 邸あたりでは、人生一・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫