・・・我我自身を伝奇の中の恋人のように空想するボヴァリイ夫人以来の感傷主義である。 地獄 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまたま来って、騎士がかの女を救うべきである。が、こしらえものより毬唄の方が、現実を曝露して、――女は速に虐げられているらしい。 同時に、愛惜の念に堪えない。も・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・源平時代の史乗と伝奇とは平氏の運命の美なること落花の如くなることを知らしめた。『太平記』の繙読は藤原藤房の生涯について景仰の念を起させたに過ぎない。わたくしはそもそもかくの如き観念をいずこから学び得たのであろうか。その由って来るところを尋ね・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・に讚歎するとき若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロマンティックな感傷をひきつけられ、科学というとどこまでも客観的で実証的な人間精神の努力そのものの歴史的な成果への評価と混同するような結果をも生むのである。 婦人の文化の素質・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・ 徳川時代というものの中で眺める馬琴というような作家は、同時代の庶民的情調に立つ軟文学の気風に対して、教養派のくみであったろうが、馬琴の芸術家としての教養の実体はモラルとしての儒教に支那伝奇小説の翻案的架空性を加えたものが本道をなしてい・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
出典:青空文庫