・・・と、私は床の間の本箱の側に飾られた黒革のトランクや、革具のついた柳行李や、籐の籠などに眼を遣りながら、言った。「まあね。がこれでまだ、発つ朝に塩瀬へでも寄って生菓子を少し仕入れて行かなくちゃ……」 壁の衣紋竹には、紫紺がかった派手な・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ その少女はつつましい微笑を泛べて彼の座席の前で釣革に下がっていた。どてらのように身体に添っていない着物から「お姉さん」のような首が生えていた。その美しい顔は一と眼で彼女が何病だかを直感させた。陶器のように白い皮膚を翳らせている多いうぶ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 原を横ぎる時、自分は一個の手提革包を拾った。 五月十五日 どうして手提革包を拾ったかその手続まで詳わしく書くにも当るまい。ただ拾ったので、足にぶつかったから拾ったので、拾って取上げて見ると手提革包であったのである。 拾うと・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・てこちらを向く暇もなく、広い土間を三歩ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆、草鞋の旅装で鳥打ち帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘を携え、左に小さな革包を持ってそれをわきに抱いていた。・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
一 彼の出した五円札が贋造紙幣だった。野戦郵便局でそのことが発見された。 ウスリイ鉄道沿線P―の村に於ける出来事である。 拳銃の這入っている革のサックを肩からはすかいに掛けて憲兵が、大地を踏みなら・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・雪に汚れた革足袋の爪先の痕は美しい青畳の上に点々と印されてあった。中 南北朝の頃から堺は開けていた。正平の十九年に此処の道祐というものの手によって論語が刊出され、其他文選等の書が出されたことは、既に民戸の繁栄して文化の豊かな・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・そのほかにその樽を二つずつはこぶ車が百だい、その車を引っぱる革綱も二百本いります。それから水夫を二百人集めておもらいなさい。」と言いました。 ウイリイはそれをすっかりととのえてもらって、船へつみこみました。二百人の水夫も乗りこみました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・馬車使はちょっととび下りて馬の頬革をしめなおしています。肉屋がのぞいて見ますと、中には二十ぴきばかりの犬がごろごろしています。まさか、うちの犬はいないだろうな、と、よく見ようとするとたんに、「わうわう。」と、かなしそうなうなり声を上げた犬が・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・私は紺色の長いマントをひっかけ、純白の革手袋をはめていた。私はひとつカフェにつづけて二度は行かなかった。きまって五円紙幣を出すということに不審を持たれるのを怖れたのである。「ひまわり」への訪問は、私にとって二月ぶりであった。 そのころ私・・・ 太宰治 「逆行」
・・・おれの事だからいつだかわからんと云ったような事を云うてザブ/\とすまし、机の上をザット片付けて革鞄へ入れるものは入れ、これでよしとヴァイオリンを出して second position の処を開けてヘ調の「アンダンテ」をやる。1st とちがっ・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
出典:青空文庫