・・・老博士も、やはり世に容れられず、奇人よ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石に侘びしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出でございます。博士は、よれ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ちゃんと長兄の侘びしさを解していながら、それでも自身の趣味のために、いつも三兄は、こんな悪口を言うのでした。人の作品を、そんなに悪く言いながら、この兄ご自身の作品は、どうかということになれば、そうなると、なんだか心細いものでした。この「青ん・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・したはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の幟が、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音が聞えて淋しいとも侘びしいとも与兵衛が可愛そうでならなかっ・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・尊敬とは、こんな侘びしい感情を指して言うのでしょうか。私は、あなたに甘える事が、どうしても出来なくなりました。あなたは、生れながらの「作家」でした。私には、野暮な俗人というしっぽが、いつまでもくっついていて、「作家」という一天使に浄化する事・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・さすがにそれが、ときどき侘びしくふらと家を出て、石を蹴り蹴り路を歩いて、私は、やはり病気なのであろうか。私は小説というものを間違って考えているのであろうか、と思案にくれて、いや、そうで無いと打ち消してみても、さて、自分に自信をつける特筆大書・・・ 太宰治 「鴎」
・・・それも一週間に一度以上多くやっては、いけない。侘びしさに堪えよ。三日堪えて、侘びしかったら、そいつは病気だ。冷水摩擦をはじめよ。必ず腹巻きをしなければいけない。ひとから金を借りるな。飢死するとも借銭はするな。世の中は、人を飢死させないように・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・なんとも言えず侘びしいのである。死にたく思う。酒を知ってから、もう十年にもなるが、一向に、あの気持に馴れることができない。平気で居られぬのである。慚愧、後悔の念に文字どおり転輾する。それなら、酒を止せばいいのに、やはり、友人の顔を見ると、変・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・けれども観衆の大半は、ひょっとしたら、やっぱり侘びしい人たちばかりなのではあるまいか。日劇を、ぐるりと取り巻いている入場者の長蛇の列を見ると、私は、ひどく重い気持になるのである。「映画でも見ようか。」この言葉には、やはり無気力な、敗者の溜息・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・私たちなら、侘びしくても、本を読んだり、景色を眺めたりして、幾分それをまぎらかすことが出来るけれど、新ちゃんには、それができないんだ。ただ、黙っているだけなんだ。これまで人一倍、がんばって勉強して、それからテニスも、水泳もお上手だったのだも・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・少し侘びしく、戸惑いした私の感情も、すぐにその場で、きれいに整理できた。それは、それで、いいのだと思った。 百合の花は、何かあり合せの花瓶に活けて部屋に持って来るよう女中に言いつけて、私は、私の部屋へかえって机のまえに坐ってみた。いい仕・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
出典:青空文庫