・・・こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避けたがる。便利と安全を買うために自分を売る事を恐れるからである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・珍々先生はこんな処にこうしていじけていずとも、便利な今の世の中にはもっと暖かな、もっと明い賑かな場所がいくらもある事を能く承知している。けれどもそういう明い晴やかな場所へ意気揚々と出しゃばるのは、自分なぞが先に立ってやらずとも、成功主義の物・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・て、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私なども・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・然るに女大学は古来女子社会の宝書と崇められ、一般の教育に用いて女子を警しむるのみならず、女子が此教に従て萎縮すればするほど男子の為めに便利なるゆえ、男子の方が却て女大学の趣意を唱えて以て自身の我儘を恣にせんとするもの多し。或る地方の好色男子・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・蕪村が漢語を用いたるは種々の便利ありしに因るべけれど、第一に漢語が国語より簡短なりしに因らずんばあらず、複雑なる意匠を十七、八字の中に含めんには簡短なる漢語の必要あり。また簡短なる語を用うれば叙事形容を精細になし得べき利あり。指南車・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ただちがうところは教室にも廊下にも窓のないことそれから屋根のないことですが、これは元来屋根がなければ窓はいらない筈ですからおまけに室の上を白い雲が光って行ったりしますから、実に便利だろうと思いました。校長室の中では、白服の人の動いているのが・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ 携帯口糧のように整理された文化の遺産は、時にとって運ぶに便利であろうけれども、骨格逞しく精神たかく、半野生的東洋に光を注ぐ未来の担いてを養うにはそれだけで十分とは云い切れまいと思える。 三代目ということは、日本の川柳で極めてリアル・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・この本と南江堂で買ったロシア、ドイツの対訳辞書とがあったので、私は満州にいる間、少なからぬ便利を感じた。 私が満州で受け取った手紙のうちに、安国寺さんの手紙があった。その中に重い病気のためにドイツ語の研究を思い止まって、房州辺の海岸へ転・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・もしこれを疑うものがあれば、現下の文壇を一例とするのが最も便利な方法である。自分は昨年の十月に月評を引き受けてやってみた。すると、或る種の人々は分らないと云って悪罵した。自分は感覚を指標としての感覚的印象批評をしたまでにすぎなかった。それは・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・そうしてまたその手法が、この目的にとって便利であるからである。 しかし両者の区別は、絵の具や画布などの相違の内に、もっと根本的に横たわっているのではないのか。僕は自ら絵の具の性質と戦った経験を有していないが、ただ鑑賞者として画に対する場・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫