・・・ 新婚後まだ何日も経たない房子は、西洋箪笥の前に佇んだまま、卓子越しに夫へ笑顔を送った。「田中さんが下すったの。御存知じゃなくって? 倉庫会社の――」 卓子の上にはその次に、指環の箱が二つ出て来た。白天鵞絨の蓋を明けると、一つには真・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・そして、田所さんの世話で造船所の倉庫番をしたり、病院の雑役夫になったりして、そのわずかの給金の中から、禁酒貯金と秋山さん名義の貯金を続けましたが、秋山さんからは何の便りも来なかった。もっともお互い今度会う時まで便りをしないでおこうという約束・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・橋の近くにある倉庫会社に勤めていて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆえ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度せかせかとこの橋を渡らねばならなかった。近頃は、弓形になった橋の傾斜が苦痛でならない。疲れているのだ。一つ会社に十何年間か・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・専売局自身が倉庫から大量持ち出して、横流しをしてるんですからねえ」 東京の人人はこの記事を読んで驚くだろうが、しかし私は驚かない。私ばかりではない。大阪の人はだれも驚かないだろう。 そしてまた次のことにも驚かない。 最近・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、去年の暴風にこわれた波止場や、そこに一艘つないである和船や、発動機船会社の貯油倉庫を私は、窓からいつまでもあきずに眺めたりする。波止場近くの草ッ原の雑草は、一カ月見ないうちに、病人の顎ひげのよう・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・それらの品々は、一時、深沢洋行の倉庫の中で休息した。それからおもむろに、支那人の手によって、国境をくぐりぬけ、サヴエート国内へもぐりこんで行った。 これは二重の意義を持っていた。密輸入につきものの暴利をむさぼるだけではなかった。 肉・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 五 倉庫にしまってある実弾を二人はひそかに持ち出した。お互いに、十発ずつぐらいポケットにしのばせて、毎日、丘の方へ出かけて行った。 帰りには必ず獲物をさげて帰った。「こんなに獲っていちゃ、シベリヤの兎が種・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・納屋とは倉庫のことである。交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大商業地に必要で有ったろうことは云うまでも無い。納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・また、商人は倉庫に満す物貨を集め、長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、公達は緑したたる森のぐるりに早速縄を張り廻らし、そこを己れの楽しい狩猟と逢引の場所とした。市長は巷を分捕り、漁人は水辺におのが居を定めた。総ての分割の、とっくにすんだ後で、詩人・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、やがて遠のく。黒く濡れた防波堤が現われる。その尖端に、白い燈台が立っている。もはや、河口である。これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた。海に出たのである。エンジ・・・ 太宰治 「佐渡」
出典:青空文庫