・・・それと云うのは、菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいるような心もちがする。こっちの善い所は勿論了解してくれるし、よしんば悪い所を出しても同情してくれそうな心もちがする。又実際、過去の記憶に照して見ても、そうでなかった事は一度もない。・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴へ当てつけているんだね。」 K君も咄嗟につけ加えました。僕は善い加減な返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時にはほ・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ところでともちゃんのハズの兄貴にあたるのが、ほんとうは俺たち五人の仲間の一人で、それがともちゃんに恋をして、貧乏と恋とのために業半ばにして死ぬことになるんだ。こんどはわかったろう。……まだわからないのか……済度しがたい奴だなあ。じゃ青島、実・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ と声を密めながら、「ここいらは廓外で、お物見下のような処だから、いや遣手だわ、新造だわ、その妹だわ、破落戸の兄貴だわ、口入宿だわ、慶庵だわ、中にゃあお前勾引をしかねねえような奴等が出入をすることがあるからの、飛んでもねえ口に乗せら・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄貴の世話で淡島屋の婿養子となったのだ。であるから、金が自由になると忽ちお掛屋の株を買って、町人ながらも玄関に木剣、刺叉、袖がらみを列べて、ただの軽焼屋の主人で満足していなかった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・いわば私の兄貴分の作家である。そしてまた、武田さんは私の「夫婦善哉」という小説を、文芸推薦の選衡委員会で極力推薦してくれたことは、速記に明らかである。当時東京朝日新聞でも「唯一の大正生れの作家が現れた」という風に私のことを書いてくれた。「夫・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・ この奇妙な名前の男について述べる前に、しかし、作者は、その時、「やア、兄貴!」 と、鼻声で言いながら、ハナヤへはいって来た十七、八の、鼻の頭の真赤な男の方へ、視線を移さねばならない。 豹吉を兄貴と呼んだ所を見れば、同じ掏摸・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・私もまだ山の上のわびしい暮らしをしていた時代で、かなり骨の折れる日を送っていたところへ、今の青山の姪の父親にあたる私の兄貴から、電報で百円の金の無心を受けた。当時兄貴は台湾のほうで、よくよく旅で困りもしたろうが、しかもそれが二度目の無心で、・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・佐吉さんは自分の家のお酒は飲みません。兄貴が造えて不当の利益を貪って居るのを、此の眼で見て知って居ながら、そんな酒とても飲まれません。げろが出そうだ、と言って、お酒を飲むときは、外へ出てよその酒を飲みます。佐吉さんが何も飲まないのだから、私・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ どんなに兄貴からののしられてもいいから、五百円だけ借りたい。そうしてもういちど、やってみよう、私は東京へかえった。友人たちの骨折りのおかげで私は兄貴から、これから二三年のあいだ、月々、五十円のお金をもらえることになった。私はさっそく貸・・・ 太宰治 「川端康成へ」
出典:青空文庫