・・・出しては読み出しては読み、差し上げる手紙を書く料簡もなく、昨夜一ばん埒もなく過ごしました。先夜はほんとに失礼いたしました。ただ悲しくて泣いた事を夢のように覚えてるばかり、ほかの事は何も覚えていません。あとであんまり失礼であったと思いました。・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・――では、先夜の僕がゆうべの青木になったのだ。また、うわばみの赤い舌がぺろぺろ僕の目の前に見えるようだ。僕はこれを胸に押さえて平気を装い、「それがつらいのか?」「どうしても、疑わしいッて聴かないんだもの、癪にさわったから、みんな言っ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 先夜鷹見の宅で、樋口の事を話した時、鷹見が突然、「樋口は何を勉強していたのかね」と二人に問いました。記憶のいい上田も小首を傾けて、「そうサ、何を読んでいたかしらん、まさかまるきり遊んでもいなかったろうが」と考えていましたが、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ぐと小生の事に思し召され候わば大違いに候、妻のことに候、あの言葉少なき女が貞夫でき候て以来急に口数多く相成り近来はますますはげしく候、そしてそのおしゃべりの対手が貞夫というに至っては実に滑稽にござ候、先夜も次の間にて貞夫を相手に何かわからぬ・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・との老先生の先夜の言葉を今更のように怪しゅう思って、彼は途々この一言を胸に幾度か繰返した、そして一念端なくもその夜の先生の怒罵に触れると急に足が縮むよう思った。 然し「呼びに来た」のである。不思議の力ありて彼を前より招き後より推し忽ち彼・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 娘さんは、その青年とあっさり結婚する気でいるようであった。 先夜、私は大酒を飲んだ。いや、大酒を飲むのは、毎夜の事であって、なにも珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私・・・ 太宰治 「朝」
・・・』先夜ひそかに如上の文章を読みかえしてみて、おのが思念の風貌、十春秋、ほとんど変っていないことを知るに及んで呆然たり、いや、いや、十春秋一日の如く変らぬわが眉間の沈痛の色に、今更ながらうんざりしたのである。わが名は安易の敵、有頂天の小姑、あ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・私は、先夜、先生の千人風呂という作品を拝誦させていただきましたが、やはり興奮いたしまして、失礼ながらお手紙さしあげた筈でございますが。 ――あれは君、はずかしいものだよ。 ――しつれいいたしました。私の記憶ちがいでございました。千人・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・永野、吉田両君には先夜会った。神経をたかぶらせないでお身お大事に勉強してほしい。社の余暇を盗んで書いたので意を尽せないところが多いだろうが、折り返し、御返事をまちます。武蔵野新聞社、学芸部、長沢伝六。太宰治様。追伸、尚原稿書き直して戴ければ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ぼんやり眺めているうちに、柳町、先夜の望富閣を思い出した。近い。たしかにあの辺だ。私はすぐさま、どてらに羽織をひっかけ、毛糸の襟巻ぐるぐる首にまいて、表に飛び出した。甲府駅のまえまで、十五、六丁を一気に走ったら、もう、流石にぶったおれそうに・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
出典:青空文庫