ここでは、遠くから戦争を見た場合、或は戦争を上から見下した場合は別とする。 銃をとって、戦闘に参加した一兵卒の立場から戦争のことを書いてみたい。 初めて敵と向いあって、射撃を開始した時には、胸が非常にワク/\する。・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・しかし、大隊の炊事場では、準備にかえろうともせず、四五人の兵卒が、自分の思うままのことを話しあっていた。そこには豚の脂肪や、キャベツや、焦げたパン、腐敗した漬物の臭いなどが、まざり合って、充満していた。そこで働いている炊事当番の皮膚の中へま・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・太鼓演習、──兵卒を二人向いあって立たせ、お互いに両手で相手の頬を、丁度太鼓を叩くように殴り合いをさせること。 そのほか、いろ/\あった。 上官が見ている前でのみ真面目そうに働いてかげでは、サボっている者が、つまりは得である。く・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・ 第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし、九時間二十分で往復して来ました。それ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・一夜、三人の兵卒は、アグリパイナの枕頭にひっそり立った。一人は、死刑の宣告書を持ち、一人は、宝石ちりばめたる毒杯を、一人は短剣の鞘を払って。『何ごとぞ。』アグリパイナは、威厳を失わず、きっと起き直って難詰した。応えは無かった。 宣告・・・ 太宰治 「古典風」
イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、 妻・・・ 太宰治 「小志」
・・・まず自分を、自分の周囲を、不安ないように育成して、自分の小さいふるさとの、自分のまずしい身内の、堅実な一兵卒になって、努めて、それからでなければ、どんな、ささやかな野望でも、現実は、絶対に、ゆるさない。賭けてもいい。高野幸代は、失敗する。い・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・一兵卒が死のうが生きようがそんなことを問う場合ではなかった。渠は二人の兵士の尽力のもとに、わずかに一盒の飯を得たばかりであった。しかたがない、少し待て。この聯隊の兵が前進してしまったら、軍医をさがして、伴れていってやるから、まず落ち着いてお・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 欣然と、恰も、凱旋した兵卒のようではないか! ……迎えるものも、迎えらるるものも、この晴れ晴れした哄笑はどうだ 暖かい、冬の朝暾を映して、若い力の裡に動いている何物かが、利平を撃った。縁端にずらり並んだ数十の裸形は、その一人が低く歌い・・・ 徳永直 「眼」
・・・ けれども、電車の中は案外すいていて、黄い軍服をつけた大尉らしい軍人が一人、片隅に小さくなって兵卒が二人、折革包を膝にして請負師風の男が一人、掛取りらしい商人が三人、女学生が二人、それに新宿か四ツ谷の婆芸者らしい女が一人乗っているばかり・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫