・・・愛のために孟子の母はわが子を鞭打ち、源信の母はわが子を出家せしめた。乃木夫人は戦場に、マリアは十字架へとわが子を行かしめたのも、われわれはこれを母性愛に対する義務の要求と見ずに、道と法とに高められ、照らされたる母性愛と見たい。それだけの負荷・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅固な仏教求道者として過ごさせられた。実に西国巡礼の最初の御方である。また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・曰く、「京管領細川右京太夫政元は四十歳の比まで女人禁制にて、魔法飯綱の法愛宕の法を行ひ、さながら出家の如く、山伏の如し、或時は経を読み、陀羅尼をへんしければ、見る人身の毛もよだちける。されば御家相続の子無くして、御内、外様の面、色諫め申しけ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・実朝の近習が、実朝の死と共に出家して山奥に隠れ住んでいるのを訪ねて行って、いろいろと実朝に就いての思い出話を聞くという趣向だ。史実はおもに吾妻鏡に拠った。でたらめばかり書いているんじゃないかと思われてもいけないから、吾妻鏡の本文を少し抜萃し・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・住み難き世を人一倍に痛感しまことに受難の子とも呼ぶにふさわしい、佐藤春夫、井伏鱒二、中谷孝雄、いまさら出家遁世もかなわず、なお都の塵中にもがき喘いでいる姿を思うと、――いやこれは対岸の火事どころの話でない。おのれの作品のよしあしをひ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・釈迦が譬喩に云った事を出家が真に受けているのが可笑しいというのである。そして経文を引用してある中に、海水の鹹苦な理由を説明する阿含経の文句が挙げてある。ところがその説明が現在の科学の与えている海水塩分起原説とある度までよく一致しているから面・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・啻に政府ばかりでない、議会をはじめ誰も彼も皆大逆の名に恐れをして一人として聖明のために弊事を除かんとする者もない。出家僧侶、宗教家などには、一人位は逆徒の命乞する者があって宜いではないか。しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ また、戦国の世にはすべて武人多くして、出家の僧侶にいたるまでも干戈を事としたるは、叡山・三井寺等の古史に徴して知るべし。社会の公議輿論、すなわち一世の気風は、よく仏門慈善の智識をして、殺人戦闘の悪業をなさしめたるものなり。右はいずれも・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ 古来の習慣に従えば、凡そこの種の人は遁世出家して死者の菩提を弔うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家落飾も不似合とならば、ただその身を社会の暗処に隠してその生活を質素にし、一切万事控目にして世間の耳目に触れざるの覚悟こそ本意なれ。・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家したのでしたが敵王がきて寺を焼くとき二日ほど俗服を着てかくれているうちわたくしは恋人 人々が集って口々に叫びました。(雁 童子はも一度・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
出典:青空文庫