・・・それは左翼の活動をかつてした人間、今日は情勢に押されてその活動の自由を失っている人間の人間性というものを切り離して、運動の性質、その場面でのぞましいものと考えられている人間の統一体とは寧ろ対立的な関係にあるものとして、二元的に眺め、最後の軍・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・川端康成の或る作品などは表面個人主義的な現実からの逃避を示しながら、現在の火華の出るような階級対立の現実から自身、眼を外らし、同時に読者をも科学的な世界観から切り離してくる点において完全にファッシズムの一つの支柱としての役割を持っている。群・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
・・・健康で、自主的で社会的責任によって相互に行動する両性関係とその論理の確立を求めたのであったが、一部の人々は、両性の問題だけを切り離して当時の社会の歴史的、階級的制約の外で急進的に解決し得るものではないという事実を過小評価する結果に陥った。・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・農村の村々に、切離して少しずつ女を働かして置けば、いつまで経っても、それらの勤労婦人達は、都会における工場の労働婦人のように団結することも知らないし、要求することも理解しない。その上、その労働に対する賃銀はそれぞれの「村の経済状態を混乱させ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・この暗示的な、多くを切り離して重要な一部分を示すという演り方、古い形式と束縛とを脱して美しい新形式を征服した、内より外に向かうという演り方、これがアアサア・シモンズを喜ばせた重大な点である。これが彼の象徴主義と合致した点なのである。古い演劇・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・蓮花の世界に入り浸る心持ちは、どうも仏教的な理想と切り離し難いようである。それはただに仏教の経典に蓮華が説かれ、仏教の美術に蓮華が作られているからのみではない。蓮の花そのものの形や感触に何かインド的なもの、日本の国土をはるかに超えたものが感・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・しかるに顔を切り離したトルソーになると、我々はそこに美しい自然の表現を見いだすのであって、決して「人」の表現を見はしない。もっとも芸術家が初めからこのようなトルソーとして肉体を取り扱うということは、肉体において自然を見る近代の立場であって、・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
出典:青空文庫