・・・ 去年ちょうど今時分、秋のはじめが初産で、お浜といえば砂さえ、敷妙の一粒種。日あたりの納戸に据えた枕蚊帳の蒼き中に、昼の蛍の光なく、すやすやと寐入っているが、可愛らしさは四辺にこぼれた、畳も、縁も、手遊、玩弄物。 犬張子が横に寝て、・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・妻はそのころもう身重になっていたので、この五月には初産という女の大難をひかえている。おまけに十九の大厄だと言う。美代が宿入りの夜など、木枯らしの音にまじる隣室のさびしい寝息を聞きながら机の前にすわって、ランプを見つめたまま、長い息をすること・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・「あなたは初産だから、ほかの人より時間がかかるんです……安心していらっしゃい」 そこへ、看護婦が入って来た。後からしずかに唸っている若い産婦の背中を撫ではじめた。 分娩室では、丁度今五人の産婦が世話をされているところだ。助産婦が・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫