・・・ 玉蜀黍殻といたどりの茎で囲いをした二間半四方ほどの小屋が、前のめりにかしいで、海月のような低い勾配の小山の半腹に立っていた。物の饐えた香と積肥の香が擅にただよっていた。小屋の中にはどんな野獣が潜んでいるかも知れないような気味悪さがあっ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 雑所は前のめりに俯向いて、一服吸った後を、口でふっふっと吹落して、雁首を取って返して、吸殻を丁寧に灰に突込み、「閉込んでおいても風が揺って、吸殻一つも吹飛ばしそうでならん。危いよ、こんな日は。」 とまた一つ灰を浴せた。瞳を返し・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出した。挨拶は済ましたが、咄嗟のその早さに、でっぷり漢と女は、衣を引掛ける間もなかったろう……あの裸体のまま、井戸の前を、青すすきに、白く摺れて、人の姿の怪しい蝶に似・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・名古屋の客は、前のめりに、近く、第一の銅鍋の沸上った中へ面を捺して突伏した。「あッ。」 片手で袖を握んだ時、布子の裾のこわばった尖端がくるりと刎ねて、媼の尻が片隅へ暗くかくれた。竈の火は、炎を潜めて、一時に皆消えた。 同時に、雨・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・縞がらは分らないが、くすんだ装で、青磁色の中折帽を前のめりにした小造な、痩せた、形の粘々とした男であった。これが、その晴やかな大笑の笑声に驚いたように立留って、廂睨みに、女を見ている。 何を笑う、教授はまた……これはこの陽気に外套を着た・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・と土地でいわれている彼女たちは、小刻みに前のめりにおそろしく早く歩く。どっちかの肩を前におしだすようにして、工場の門からつきとばされたいきおいで、三吉の左右をすりぬけてゆく。汗のにおい、葉煙草のにおい。さまざまな語尾のみじかいしゃべりやわら・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 一通り部屋の中をグルッと見廻して、トンと突衿をすると一緒に、お君のすぐ顔の処へパフッと座ったお金は、やきもちやきな、金離れの悪い、五十女の持って居るあらゆる欠点を具えた体を、前のめりにズーッとお君の方に延しまげた。 誰あれも来・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫