・・・が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云う訣か、急に噛みつきそうな権幕を見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣な返答を抛りつけた。「莫迦野郎! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」 その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・まずこいつをとっちめて、――と云う権幕でしたから、新蔵はずいと上りざまに、夏外套を脱ぎ捨てると、思わず止めようとしたお敏の手へ、麦藁帽子を残したなり、昂然と次の間へ通りました。が、可哀そうなのは後に残ったお敏で、これは境の襖の襖側にぴったり・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 突如噛着き兼ねない剣幕だったのが、飜ってこの慇懃な態度に出たのは、人は須らく渠等に対して洋服を着るべきである。 赤ら顔は悪く切口上で、「旦那、どちらの麁そそうか存じましないけれども、で、ございますね。飛んだことでございます。こ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちないことがあると、意張りたがるお客が家の者にがなりつくような権幕であった。 お君というその姪、す・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と、達ちゃんは、おどすような剣幕をして、いいました。「達ちゃん、そんなことをいうのは、卑怯ですよ。」と、お姉さんは、達ちゃんをたしなめなさいました。 じつは、今日、学校で、達ちゃんは先生にしかられたのでした。それは時間中に、砂場で採・・・ 小川未明 「二少年の話」
・・・ この権幕におそれて、きみ子さんは、逃げていってしまいました。「どうせ、こんなことだろうと思った。」と、二郎さんが、いいました。「僕、うちへ持っていって、お母さんに願ってみよう。」と、誠さんが、決心を顔に表して、いいました。・・・ 小川未明 「僕たちは愛するけれど」
・・・すると、男は見幕をかえて、「こない言うても飲みはれしまへんのんか。あんた!」 きっとにらみつけた。 その眼付きを見ると、嫉妬深い男だと言った女の言葉が、改めて思いだされて、いまさきまで女と向い合っていたということが急に強く頭に来・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚して僕の顔を見て居るばかり、一言も発しません。『サア理由を聞きましょう。怨霊が私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊の児ですもの。』と言い放ちました、見る・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 非常な剣幕で母は立ち去り、妻はそのまま泣伏したのであった。 自分は一々聴き終わって、今の自分なら、「宜しい! 不用けゃ三円も上げんばかりだ。泣くな、泣くな、可いじゃないか母上さんの方から母でもない子でも無いというのなら、致かた・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・私が帰るといえばすぐにでも蹶飛ばしそうな剣幕ですから私も仕方なしにそこに坐って黙っていますと、娘は泣いておるのです。嗚咽びかえっているのです、それを見た武の顔はほんとうに例えようがありません、額に青筋を立てて歯を喰いしばるかと思うと、泣き出・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫