・・・二人は冷酒の盃を換わしてから、今日までの勘定をすませた後、勢いよく旅籠の門を出た。 外はまだ人通りがなかった。二人はそれでも編笠に顔を包んで、兼ねて敵打の場所と定めた祥光院の門前へ向った。ところが宿を離れて一二町行くと、甚太夫は急に足を・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・この分では、誰よりも彼自身が、その斬り捨ての任に当り兼ねない勢いである。これに煽動された吉田、原、早水、堀部などは、皆一種の興奮を感じたように、愈手ひどく、乱臣賊子を罵殺しにかかった。――が、その中にただ一人、大石内蔵助だけは、両手を膝の上・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・そして崩れた波はひどい勢いで砂の上に這い上って、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。三人はそうした波の様子を見ると少し気味悪くも思いました。けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・はたまた今日我邦において、その法律の規定している罪人の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において中止せねばならなくなっている事実(微罪不検挙の事実、東京並びに各都市における無数の売淫婦が拘禁は何を語る・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・橋と正面に向き合う処に、くるくると渦を巻いて、坊主め、色も濃く赫と赤らんで見えるまで、躍り上がる勢いで、むくむく浮き上がった。 ああ、人間に恐れをなして、其処から、川筋を乗って海へ落ち行くよ、と思う、と違う。 しばらく同じ処に影を練・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。 人畜を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬っては戦士が傷つい・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・『こないなことなら、いッそ、割腹して見せてやる』とか、『鉄砲腹をやってやる』とか、なかなか当るべからざる勢いであったんや。然し、いよいよ僕等までが召集されることになって、高須大佐のもとに後備歩兵聨隊が組織され、それが出征する時、待ちかまえと・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・そういう時勢であったから椿岳は二軒懸持の旦那で頤を撫でていたが、淡島屋の妻たるおくみは男勝りの利かぬ気であったから椿岳の放縦気随に慊らないで自然段々と疎々しくなり、勢い椿岳は小林の新らしい妻にヨリ深く親むようになった。かつ淡島屋の身代は先代・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「いま、人間は、ひじょうな勢いで、いたるところで木を伐り倒している。いつ、この林の方へも押し寄せてくるかしれない。人間は、りこうかと思うと、一面は、ばかで、自分から火を出して、自分の住んでいる家も、また、せっかくりっぱに、仲間のためにな・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・公休日というものも設けず、毎日せっせと精出したから、無駄費いもないままに、勢い溜まる一方だった。柳吉は毎日郵便局へ行った。体のえらい商売だから、柳吉は疲れると酒で元気をつけた。酒をのむと気が大きくなり、ふらふらと大金を使ってしまう柳吉の性分・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫