・・・そのまた海辺には人間よりも化け物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをするために合掌していた。それは「妙々車」という草双紙の中の插画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚え・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・私どもも、大戦中から闇の商売などして、その罰が当って、こんな化け物みたいな人間を引受けなければならなくなったのかも知れませんが、しかし、今晩のような、ひどい事をされては、もう詩人も先生もへったくれもない、どろぼうです、私どものお金を五千円ぬ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・元来、化け物なのかも知れない。しかし、この女のように、こんなに見事に変身できる女も珍らしい。「さては、相当ため込んだね。いやに、りゅうとしてるじゃないか。」「あら、いやだ。」 どうも、声が悪い。高貴性も何も、一ぺんに吹き飛ぶ。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ すなわち、長火鉢へだてて、老母は瀬戸の置き物のように綺麗に、ちんまり坐って、伏目がち、やがて物語ることには、──あれは、わたくしの一人息子で、あんな化け物みたいな男ですが、でも、わたくしは信じている。あれの父親は、ことしで、あけて・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・申しおくれましたが、当時の僕の住いは、東京駅、八重洲口附近の焼けビルを、アパート風に改造したその二階の一部屋で、終戦後はじめての冬の寒風は、その化け物屋敷みたいなアパートの廊下をへんな声を挙げて走り狂い、今夜もまたあそこへ帰って寝るのかと思・・・ 太宰治 「女類」
・・・かつは罰し、かつは賞し、雲の無軌道、このようなポオズだけの化け物、盗みも、この大人物の悪に較べて、さしつかえなし、殺人でさえ許されるいまの世、けれども、もっとも悪い、とうてい改悛の見込みなき白昼の大盗、十万百万証拠の紙幣を、つい鼻のさきに突・・・ 太宰治 「創生記」
・・・こんな化け物みたいなものに、ついてこられて、たまるものか、とその都度、私は、だまってポチを見つめてやる。あざけりの笑いを口角にまざまざと浮べて、なんぼでも、ポチを見つめてやる。これは大へんききめがあった。ポチは、おのれの醜い姿にハッと思い当・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・自分がまるで、こんにゃくの化け物のように、汚くて、手がつけられなくて、泣きべそかきました。舞台で、私の着ている青い衣裳を、ずたずた千切り裂きたいほど、不安で、いたたまらない思いでございました。あたしは、ちっとも、鉄面皮じゃない。生ける屍、そ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・たとえば透明な浮遊生物の映画などでも、考えよう一つであの生物のあるものが人間ほどの大きさをもったダンサーの化け物のように思われて来る。そうするとその運動は非常に軽快に見え、そうして今にもわれわれに食ってかかりそうな無気味さを感じる。しかし顕・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ 複製原稿で最もおもしろいと思うのは、詩稿のわきに描き添えられたいろいろの化け物のスケッチであろう。それが実にうまい絵である。そうして、それはやはり日本の化け物のようでもあるが、その中のあるものたとえば「古椿」や「雪女」や「離魂病」の絵・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
出典:青空文庫