・・・それ故に医薬よりは迷信を頼ったので、赤い木兎と赤い達磨と軽焼とは唯一無二の神剤であった。 疱瘡の色彩療法は医学上の根拠があるそうであるが、いつ頃からの風俗か知らぬが蒲団から何から何までが赤いずくめで、枕許には赤い木兎、赤い達磨を初め赤い・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・めに最有利な証人として出現させるために序幕からその糸口をこしらえておかなければならないので、そのために娘の父を舞台の彼方で喘息のために苦悶させ、それに同情して靴磨きがたった今、ダンサーから貰った五円を医薬の料にやろうというのをこの娘の可憐な・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。 花下の細道をたどって先・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ども、なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後に斃るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。これも哲学・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 大学 四四・二 社会・経済 一六・二 芸術 三九・五 工業・機械 七・九 医薬 五一・二 農業 一四・八 教育 五一・三「五ヵ年計画」は男女技術家の養成に熱・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・赤軍映画隊は、弁髪長い中国の農村プロレタリアートに、最初の文化の光、キノを見せた。医薬の補助を与えた。中国の農村プロレタリアートは次第に赤軍を愛し、彼等が村を去るときはプラカートを立て、赤軍万歳! また来て下さい、と書いてデモで停留場まで送・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・私たちは病人が医薬を求めるようにT氏から愛と智とを求めながら、やがて路傍の人のように冷淡になった。時おりなつかしい心でT氏のことを思い出しても、それを伝えるだけの熱心がない。それがいかにT氏の心を傷つけたかについては、私たちはあまりに無知で・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫