・・・町の上には半輪の月が、霜の下りた家々の屋根へ、寒い光を流していた。牧野はその光の中へ、時々巻煙草の煙を吹いては、さっきの剣舞でも頭にあるのか、「鞭声粛々夜河を渡る」なぞと、古臭い詩の句を微吟したりした。 所が横町を一つ曲ると、突然お・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇にかかえ、崖よりぬッくと出でて、薄原に顕れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄ら寒くなりおった。」 と呟くがごとくにいいて、か・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 忘れはしない、半輪の五日の月が黒雲を下りるように、荘厳なる銀杏の枝に、梢さがりに掛ったのが、可懐い亡き母の乳房の輪線の面影した。「まあ、これからという、……女にしても蕾のいま、どうして死のうなんてしたんですよ。――私に……私……え・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・流の折曲る処に、第六のが半輪の月形に覗いていました。――見る内に、その第一の水車の歯へ、一輪紅椿が引掛った――続いて三ツ四ツ、くるりと廻るうちに七ツ十ウ……たちまちくるくると緋色に累ると、直ぐ次の、また次の車へもおなじように引搦って、廻りな・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 空は晴れて、霞が渡って、黄金のような半輪の月が、薄りと、淡い紫の羅の樹立の影を、星を鏤めた大松明のごとく、電燈とともに水に投げて、風の余波は敷妙の銀の波。 ト瞻めながら、「は、」と声が懸る、袖を絞って、袂を肩へ、脇明白き花一片・・・ 泉鏡花 「妖術」
出典:青空文庫