・・・ 岩田は君公の体面上銀より卑しい金属を用いるのは、異なものであると云う。上木はまた、すでに坊主共の欲心を防ごうと云うのなら、真鍮を用いるのに越した事はない。今更体面を、顧慮する如きは、姑息の見であると云う。――二人は、各々、自説を固守し・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・いや、利己心が起させる卑しい恐怖を頼みにしている。だから私はこう云われるのだ。あの人はきっと忍んで来るのに違いない。…… しかし私自身を頼みにする事の出来なくなった私は、何と云うみじめな人間だろう。三年前の私は、私自身を、この私の美しさ・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・数馬の芸はそのように卑しいものではございませぬ。どこまでも真ともに敵を迎える正道の芸でございまする。わたくしはもう二三年致せば、多門はとうてい数馬の上達に及ぶまいとさえ思って居りました。………」「その数馬をなぜ負かしたのじゃ?」「さ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ それはまだ許せるとしても、妻は櫛部某の卑しいところに反って気安さを見出している、――僕はそこに肚の底から不快に思わずにはいられぬものを感じた。「子供に父と言わせられる人か?」「そんなことを言ったって、……」「駄目だ、いくら弁解・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・ 玉造の小町 卑しいことを云うのはおよしなさい。あなたこそ恋を知らないのです。 使 (やはり無頓着第三に、――これが一番恐ろしいのですが、第三に世の中は神代以来、すっかり女に欺されている。女と云えばか弱いもの、優しいものと思いこんで・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・そしておまけに、早く大人がって通がりそうなトーンが、作全体を低級な卑しいものにしていると書いてあります。」 僕は、不快になった。「お気の毒ですな。」角顋は冷笑した。「あなたの『煙管』もありますぜ。」「何と書いてあります。」「・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・男も女もこの奇異な裸形に奇異な場所で出遇って笑いくずれぬものはなかった。卑しい身分の女などはあからさまに卑猥な言葉をその若い道士に投げつけた。道士は凡ての反感に打克つだけの熱意を以て語ろうとしたが、それには未だ少し信仰が足りないように見えた・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・そして鉛色の野の果てからは、腐肥をあさる卑しい鳥の羽音が聞こえてくる。この時人が精力を搾って忘れようと勉めた二つの道は、まざまざと眼前に現われて、救いの道はただこの二つぞと、悪夢のごとく強く重く人の胸を圧するのである。六 人・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。 レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かっていって、後ろも見ず・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・こんな事が奮闘であるならば、奮闘の価は卑しいといわねばならぬ。しかし心を卑しくするのと、体を卑しくするのと、いずれが卑しいかといえば、心を卑しくするの最も卑しむべきはいうまでも無いことである。そう思うて見ればわが今夜の醜態は、ただ体を卑しく・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
出典:青空文庫