・・・もちろんまれには卑しい物質的の利害から起こる事もないではあるまいが、それらは別問題として、科学者芸術家に多い病は、他を容れる度量に乏しくて互いに苦々しく相排することである。これも両者の心理に共通なもののある事を示す一例と見なされる。畢竟偏狭・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚いたり、水仕事もしたり、霜焼をこしらえたり、馬鈴薯を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑しい服装の所有者となり果てました。話は・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・人間世界にありうちの卑しい考は少しもなかったのだから罪はないような者であるが、そこにはいろいろの事情があって、一枚の肖像画から一編の小説になるほどの葛藤が起ったのである。その秘密はまだ話されない。恐らくはいつまでたっても話さるる事はあるまい・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 下らぬもの、卑しいものに対して、勝利する新しい世界観というものを明瞭に把握してわれわれに示してはくれない。 そこに、彼の生きたロシアの革命的沈滞期の社会が明かに反映しているのである。 もっと後の時代でも、例えばドイツの漫画家グ・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・世に認められぬ人間は、自分の地位の卑しいことの憂さはらしに自分の見解の高さをほこるものである。×しかし自分が、高さによじのぼる機会に手をかけるや、この高き見解はぐらつきはじめる。成功の誘惑はよりつよい。そして、方法をえらばず、才のか・・・ 宮本百合子 「バルザック」
・・・一九二八年のゴーリキイのソヴェト訪問の結果は、世界のすべての資本主義国が卑しい期待にがつがつして待ちかねていたところであった。イタリーのソレントに住んでいながら、常にソヴェト同盟の達成に留意し、反ソヴェト運動に対して文筆をもって闘って来たゴ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・偉人は卑しい者の内にも人間を見る。手におえないようなあばずれ者にも真に人間らしい本音を吐かせる。 しかし我をなくすることによって個性の色はいささかも薄くならない。かえって強烈に深刻に現われて行く。 ――こういう事を考えるようになって・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・ 我々はこの際他人の不幸を喜ぶような卑しい快活に住していてはならない。我々は今人間生活の大きい厳粛な転向点に立っているのである。三 現戦争がこのように大きい変革を世界史の上にもたらすとすれば、戦後の芸術はどうなるであろう・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
・・・多くの人の言動には卑しい動機が見えすいて感じられた。風習と道徳には虚偽が匂った。私はそれを嘲笑せずにはいられない気持ちであった。そうして自分の態度の軽薄には気づかなかった。 これに気づいたのは私には一つの契機であった。私は自分の過去を恥・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・として非難するのは、あまりに自己の卑しい心事をもって他を忖度し過ぎると思う。先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。その内にひそむ虚偽、不公平、私情などに対して正義の情熱の燃え上がるのを・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫