・・・それが何故か遠藤には、頭に毫光でもかかっているように、厳かな感じを起させました。「御嬢さん、御嬢さん」 遠藤は椅子へ行くと、妙子の耳もとへ口をつけて、一生懸命に叫び立てました。が、妙子は眼をつぶったなり、何とも口を開きません。「・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 神父は厳かに手を伸べると、後ろにある窓の硝子画を指した。ちょうど薄日に照らされた窓は堂内を罩めた仄暗がりの中に、受難の基督を浮き上らせている。十字架の下に泣き惑ったマリヤや弟子たちも浮き上らせている。女は日本風に合掌しながら、静かにこ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・するとその沈黙の中に、永久に美しい女の声が、どこからか厳かに伝わって来た。「私がここに隠っていれば、世界は暗闇になった筈ではないか? それを神々は楽しそうに、笑い興じていると見える。」 その声が夜空に消えた時、桶の上にのった女は、ち・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・が、目は不相変厳かに三右衛門の顔に注がれている。三右衛門はさらに言葉を続けた。「数馬の意趣を含んだのはもっともの次第でございまする。わたくしは行司を勤めた時に、依怙の振舞いを致しました。」 治修はいよいよ眉をひそめた。「そちは最・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・まぶしい光に明滅して十字架にかかった基督の姿が厳かに見やられた。クララは有頂天になった。全身はかつて覚えのない苦しい快い感覚に木の葉の如くおののいた。喉も裂け破れる一声に、全身にはり満ちた力を搾り切ろうとするような瞬間が来た。その瞬間にクラ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ いと厳かなる命のもとに五名の看護婦はバラバラと夫人を囲みて、その手と足とを押えんとせり。渠らは服従をもって責任とす。単に、医師の命をだに奉ずればよし、あえて他の感情を顧みることを要せざるなり。「綾! 来ておくれ。あれ!」 と夫・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ といと厳かに命じける。お貞は決する色ありて、「貴下、そ、そんなことを、私にいってもいいほどのことがあるんですか。」 声ふるわして屹と問いぬ。「うむ、ある。」 と確乎として、謂う時病者は傲然たりき。 お貞はかの女が時・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 妙に心も更まって、しばらく何事も忘れて、御堂の階段を……あの大提灯の下を小さく上って、厳かな廂を……欄干に添って、廻廊を左へ、角の擬宝珠で留まって、何やら吻と一息ついて、零するまでもないが、しっとりとする帽子を脱いで、額を手布で、ぐい・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ 私は以前とは反対に溪間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上に駐まらない黄昏の厳かな掟を――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、路の上の潦を白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなか・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・この事実は人知れず天が下にて行なわれし厳かなる事実なり。 いかなる言葉もてもこれを言い消すことあたわず、大空の星の隕ちたるがごとし、二郎はその理由のいかんを見ず、ただ光の失せぬるを悲しむ。げにこの悲しみや深し。 友の交わりを続けてよ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫