・・・ ところが、本当に今年のこっちの冬というのは十何年振りかの厳寒で、金物の表にはキラ/\と霜が結晶して、手袋をはかないでつかむと、指の皮をむいてしまうし、朝起きてみると蒲団の息のかゝったところ一面が真白にガバ/\に凍えている、夜中に静かに・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・白のカシミヤの手袋を用い、厳寒の候には、白い絹のショオルをぐるぐる頸に巻きつけました。凍え死すとも、厚ぼったい毛糸の類は用いぬ覚悟の様でした。けれども、この外套は、友だちに笑われました。大きい襟を指さして、よだれかけみたいだね、失敗だね、大・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ひとから、注意されないうちは、晩秋、初冬、厳寒、平気な顔して夏の白いシャツを黙って着ている。 私は、腕をのばし、机のわきの本棚から、或る日本の作家の、短篇集を取出し、口を、ヘの字型に結んだ。何か、顕微鏡的な研究でもはじめるように、ものも・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・ 窓外はまだ零下十五度の厳寒である。凍った雪あかりが室内の白い壁にチラチラしている。 窓枠が少し古びて、すき間風が入る。頭から白い毛糸肩掛をかぶった日本女が、唇の端から細いゴム管をたらしてねたまま横目で猫を見ていた。 寝台の・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・氷花のついた窓硝子にまっ青な月の光が一面にさし、夜中十二時になると打ち出すクレムリ時計台のインタナショナルの音が厳寒をふるわして室内にまで響いて来た。前の屋上の天井はその頃何年か硝子がこわれたまんまで鉄骨が黒く月の明るみに出ていた。モスクワ・・・ 宮本百合子 「坂」
厳寒で、全市は真白だ。屋根。屋根。その上のアンテナ。すべて凍って白い。大気は、かっちり燦いて市街をとりかこんだ。モスクワ第一大学の建物は黄色だ。 我々は、古本屋の半地下室から出た。『戦争と平和』の絵入本二冊十五ルーブリ・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ 誰かが七歳と四歳になる二人の女の児を雪の深い森へ連れ込み零下十何度という厳寒の中へ裸にして捨てて行った。 女の児は凍え始め劇しく泣き出した。 もう日暮で――冬は午後四時にとっぷり暗くなる――折から一台の空橇が雪道を村へ向ってや・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫