・・・というのが、何かお役所の特別な意味でも有る言葉で、それが口癖になっていたのではなかろうか、とも思われたが、しかし、その無筆の親の解釈にしたがって、象さんの夢を見ていたのだとするほうが、何十倍もあわれが深い。 私は興奮し、あらぬ事を口走っ・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・絶えず訪問客になやまされている人の、これが、口癖になっているのかも知れぬ。 相手の女も、多少、興奮している様子であった。男爵のその白痴めいた寝言を、気にもとめず、「新やんこそ、よくおいで下さいました。あたし、ゆっくりお話申しあげたい・・・ 太宰治 「花燭」
・・・とつい口癖になっているので、余計な一言を附加えた。「存じて居ります。」と雌の烏は落ちついて、「ずいぶんいままで、御苦労をなさいましたそうですからね。お察し申しますわ。でも、もう、これからは大丈夫。あたしがついていますわ。」「失礼です・・・ 太宰治 「竹青」
・・・「やって来たのは、ガスコン兵。」口癖になっていた、あの無意味な、ばからしい言葉。そいつが、まるで突然、口をついて出てしまった。すると、その言葉が何か魔除けの呪文ででもあったかのように、塀の上の目鼻も判然としない杓文字に似た小さい顔が、す・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・歴史的と言うのがかれの酔っぱらったときの口癖であって、銀座のバアの女たちには、歴史的さんと呼ばれていた。「まさに、歴史的だ。まあ、坐りたまえ。ビイルでも呑むか。ちょっと寒いが、君、湯あがりに一杯、ま、いいだろう。」 歴史的さんの部屋・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・それがおもしろくなるまでの我慢がしきれないで、近ごろの若い者はを口癖にいうのは、畢竟もう先が短くなった証拠かもしれない。もしも、これで百歳まで生きる覚悟があったら、自分はやっぱり奮発していやな品に慣れる努力をするであろう。時代のアルプスを登・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・と尊敬を含むと同時に、我国における独創的の研究の鼓吹、小成に安んぜんとする恐れのある少壮学者への警告を含んでいたのである。「どうも日本人はだめだ」と口癖のように言っていた、その言葉の裏にもやはり酌んでも尽きない憂国の至誠が溢れていたのである・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ その後都へ出て洋画の展覧会を見たりする時には、どうかすると中学時代の事を思い出し、同時にあの絵の具の特有な臭気と当時かきながら口癖に鼻声で歌ったある唱歌とを思い出した、そうして再びこの享楽にふけりたいという欲望がかなり強く刺激されるの・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・それも彼女の口癖であった。 実際また彼女の若い時分、身分のいい、士たちが、禄を金にかえてもらった時分には、黄金の洪水がこの廓にも流れこんで、その近くにある山のうえに、すばらしい劇場が立ったり、麓にお茶屋ができたりして、絃歌の声が絶えなか・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、此度は女房が死物狂いに叫び出した。口癖になった車掌は黄い声で、「お忘れものの御在いませんように。」と注意したが、見るから汚いおしめの有様。といって黙って打捨てても置かれず、詮方なしに「おあ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫