・・・ 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道という如きものでもない。各国家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云うことでなければならない、世界的世界の建築者となると云うことでなければならない。・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・ ゆえに天下泰平・家内安全の快楽も、これを身に享くる人の心身発達して、その働を高尚の域にすすむるときは、古代の平安は今世の苦痛不快たることあるべし。余輩のいわゆる平安とは、精神も形体もともに高尚に達して、この高尚なる心身に応じて平安なる・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ はなはだしきは道徳教育論に喋々するその本人が、往々開進の風潮に乗じて、利を射り、名を貪り、犯すべからざるの不品行を犯し、忍ぶべからざるの刻薄を忍び、古代の縄墨をもって糺すときは、父子君臣、夫婦長幼の大倫も、あるいは明を失して危きが如く・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・歌想は多く実地より出でたるものにして、古人も今人もさまで感情の変るべきにあらぬに、まして短歌のごとく短くして、複雑なる主観的歌想を現すあたわず、ただ簡単なる想をのみ主とするものは、観察の精細ならざりし古代も観察の精細に赴きし後世も差異はなは・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・人間の思想、感情の単一なる古代にありて比較的によく天然を写し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初めより天然美を発揮したるも偶然にあらず。しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・はまるで新聞小説ではない。古代ペルシアの英雄ルスタムとその息子との悲劇の、謂わば古風なものがたりであり、文体もそういう古風な絵の趣を保とうとされている。そして、作品の人物にあらわされている風俗のあらましは、古代のミニェチュアや文献をしらべて・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・ライプツィッヒで出版されたその本には、古代ペルシアの美しいタイルの色刷りや小画の原色版がどっさり入っていた。そのミニェチュアの央に、特に色彩の見事な数枚があって、それは英雄ルスタムとその息子スーラーブの物語を描いたものだった。 ミニェチ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・卒業論文には、国史は自分が畢生の事業として研究する積りでいるのだから、苛くも筆を著けたくないと云って、古代印度史の中から、「迦膩色迦王と仏典結集」と云う題を選んだ。これは阿輸迦王の事はこれまで問題になっていて、この王の事がまだ研究してなかっ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・な仕事を仕上げているちょうどその時期に、わざわざシナの古代の理想へ帰って行くという試みは、何と言っても時代錯誤のそしりをまぬかれないであろう。家康自身はかならずしも時代に逆行するつもりはなかったかもしれないが、彼の用いた羅山は明らかに保守的・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・と呼んだ。古代の赤煉瓦の壁の間に女神の白い裸身は死骸のごとく横たわっている。そうして千年の闇ののちに初めて光を、炬火の光を、ほのあかく全身に受ける。ヴイナスだ、プラキシテレスのヴイナスだ、と人々は有頂天になって叫ぶ。やがてヴイナスは徐々に、・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫