・・・ げに見るに忍びざりき、されど彼女自ら招く報酬なるをいかにせん、わがこの言葉は二郎のよろこぶところにあらず。 二郎、君は報酬と言うや、何の報酬ぞ。 われ、人の愛を盗みし報酬なり。 二郎はしばし黙して月を仰ぎつ、前なる杯を挙げ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・羽柴筑前守なぞも戦をして手柄を立てる、その勲功の報酬の一部として茶器を頂戴している。つまり五万両なら五万両に相当する勲功を立てた時に、五万両の代りに茶器を戴いているのである。その骨董に当時五万両の価値があれば、そういう骨董を頂戴したのはつま・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・知らねど類のないのを着て下されとの心中立てこの冬吉に似た冬吉がよそにも出来まいものでもないと新道一面に気を廻し二日三日と音信の絶えてない折々は河岸の内儀へお頼みでござりますと月始めに魚一尾がそれとなく報酬の花鳥使まいらせ候の韻を蹈んできっと・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・長い労苦と努力とから生まれて来たものとして、髪も白さを増すばかりのような私の年ごろに、受けてやましい報酬であるとは思われなかった。 しかし、私も年をとったものだ。少年の時分から私は割合に金銭に淡白なほうで、余分なものをたくわえようとする・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・求めて職が得られないならば、そのときには、純粋に無報酬の行為でもよい。拙なくても、努力するのが、正しいのではないのか。世の中は、それをしなければ、とても生きて居れないほどきびしいところではないのか。生活の基本には、そんな素朴な命題があって、・・・ 太宰治 「花燭」
・・・秘密警察署の方は官吏でございますから、報酬は取りませんが、私立探偵事務所の方がございますので。どうぞ悪しからず。それから潜水夫がお心付けを戴きたいと申しました。」 おれはすっかり気色を悪くして、もう今晩は駄目だと思った。もうなんにもすま・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・……ところで日本へ帰って来ると、仕事をせよと奨励されずに、会合に出て宴会に出席して、雑誌を発刊して、演説をして、無報酬の講義をして、原稿を訂正して、仕事を妨げることに想像される有りとあらゆることをして、その時間を浪費せよと頼まれる。……そし・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・自分の手で作るか、自分の労力の正当な報酬として得たもののあまりに少ないのに驚いた。これだけの負債を弁済する事が生涯に出来るかどうか疑わしい。しかし幸か不幸か債権者の大部分はもうどこにいるか分らない。一巻の絵巻物が出て来たのを繙いて見て行く。・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・、初め夜烏子について俳句のつくり方を学び、数年にして忽門戸を張り、俳句雑誌を刊行するようになった人があったが、夜烏子はこれを見て唯一笑するばかりで、その人から句を請われる時は快くこれを与えながら、更に報酬を受けなかった。 夜烏子は山の手・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫