・・・伝右衛門の素朴で、真率な性格は、お預けになって以来、夙に彼と彼等との間を、故旧のような温情でつないでいたからである。「早水氏が是非こちらへ参れと云われるので、御邪魔とは思いながら、罷り出ました。」 伝右衛門は、座につくと、太い眉毛を・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・殊に露柴は年かさでもあり、新傾向の俳人としては、夙に名を馳せた男だった。 我々は皆酔っていた。もっとも風中と保吉とは下戸、如丹は名代の酒豪だったから、三人はふだんと変らなかった。ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。我々は露・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連の間には、夙に通俗小説と云う渾名が出来ているらしい。もっとも渾名にはまだいろいろある。簪の花が花だから、わすれな草。活動写真に出る亜米利加の女優に似ているから、ミス・メリイ・ピックフォオド。この・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ 寒月の名は西鶴の発見者及び元禄文学の復興者として夙に知られていたが、近時は画名が段々高くなって、新富町の焼けた竹葉の本店には襖から袋戸や扁額までも寒月ずくめの寒月の間というのが出来た位である。寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承け・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ それは皆様がマッターホルンの征服の紀行によって御承知の通りでありますから、今私が申さなくても夙に御合点のことですが、さてその時に、その前から他の一行即ち伊太利のカレルという人の一群がやはりそこを征服しようとして、両者は自然と競争の形に・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫品に対して何等かの商業上の便宜を与えもしたで有ろうから、勿論世間の為にもなり、自分の為にも利を見たのであろう。夙に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿、小島三郎左衛門等・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・この觀測につきては夙に西人が種々の科學的研究あり、又近く橋本〔増吉〕文學士の研究もあれど、卑見を以てするに、嵎夷、暘谷は東方日出の個所を指し、南交は南方、昧谷は西方日沒の處、朔方は北方を意味し、何れもある格段なる地理的地點を指したるものなり・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・親しく先生の物語られたる次第を記さんに、先生は夙に此一事に心を籠め、二十五歳の年、初めて江戸に出でたる以来、時々貝原翁の女大学を繙き自から略評を記したるもの幾冊の多きに及べる程にて、其腹稿は既に幾十年の昔に成りたれども、当時の社会を見れば世・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・傘は夙に放ぽり出し、土の流れを防ごうとして、一本一本根の囲りをこの小石で取繞んだ。が、瞬く間に情なしの広い空地の水は石をも越した。石ころも、根も水づかりだ。葉は益々悲しげに震える。心配ではち切れそうになった子供は、両手で番傘の柄を握り、哀れ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
出典:青空文庫