・・・ 追分は軽井沢、沓掛とともに浅間根腰の三宿といわれ、いまは焼けてしまったが、ここの油屋は昔の宿場の本陣そのままの姿を残し、堀辰雄氏、室生犀星氏、佐藤春夫氏その他多くの作家が好んでこの油屋へ泊りに来て、ことに堀辰雄氏などは一年中の大半をこ・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・それで、今度の笹川君の労作にかかる長編の出版されるについては、私たち友人としては、なるべく多くの人気の出ることを、希望しないわけには行きません。それで笹川君のために、私たち友人が寄ってこういう会を催そうというような話は先からあるにはあったの・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・そしてそれはそのカフェがその近所に多く住んでいる下等な西洋人のよく出入りするという噂を、少し陰気に裏書きしていた。「おい。百合ちゃん。百合ちゃん。生をもう二つ」 話し手の方の青年は馴染のウエイトレスをぶっきら棒な客から救ってやるとい・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・車のあとより車の多くは旅鞄と客とを載せて、一里先なる停車場を指して走りぬ。膳の通い茶の通いに、久しく馴れ睦みたる婢どもは、さすがに後影を見送りてしばし佇立めり。前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕の・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・り『おしゃべり』と衝突なされ候ことこれまた貞夫よりの事と思えばおかしく候、『おしゃべり』と申せば皆様すぐと小生の事に思し召され候わば大違いに候、妻のことに候、あの言葉少なき女が貞夫でき候て以来急に口数多く相成り近来はますますはげしく候、そし・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 三 文芸と倫理学 人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼等は、犯人らしい、多くの弱点を持っている者を挙げれば、それで役目がつとまるのだ。 事務室から出ることを許されて、兵舎へ行くと、同年兵達は、口々にぶつ/\こぼしていた。「栗島。お前本当に偽札をこしらえたんか?」 松本がきいた。・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・互によく理解し合うものであるから、中村の細君が一も二も無く若崎の細君の云う通りになってくれたのでもあろうが、一つには平常同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれを鋳るこ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ いちいちにかぞえきたれば、その種類はかぎりもないが、要するに、死そのものを恐怖すべきではなくて、多くは、その個々が有している迷信・貪欲・痴愚・妄執・愛着の念をはらいがたい境遇・性質等に原因するのである。故に見よ。彼らの境遇や性質が、も・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・戦争が長くなればなるほどかゝりも多くなるし、みんながモット/\たべられなくなって、日本もきっとロシヤみたいになる、とお父さんが云っています。 先生。私は戦争のお金を出さなくてもいゝようにならなければ、みんなにいじめられますから、どうして・・・ 小林多喜二 「級長の願い」
出典:青空文庫