・・・お互いにそぶりに心を通わし微笑に意中を語って、夢路をたどる思いに日を過ごした。後には省作が一筋に思い詰めて危険をも犯しかねない熱しような時もあったけれど、そこはおとよさんのしっかりしたところ、懇に省作をすかして不義の罪を犯すような事はせない・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ かれは恐る恐るそこらをぶらつき初めた。夢路を歩む心地で古い記憶の端々をたどりはじめた。なるほど、様子が変わった。 しかしやはり、変わらない。二十年前の壁の穴が少し太くなったばかりである、豊吉が棒の先でいたずらに開けたところの。・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・しかるに壮年の人よりこの涙を誘うもののうちにても、天外にそびゆる高峰の雪の淡々しく恋の夢路を俤に写したらんごときに若くものあらじ。 詩人は声はり上げて『わが心高原にあり』をうたい、『いざ去らば雪をいただく高峰』の句に至りて、その声ひとき・・・ 国木田独歩 「星」
・・・かれは静かに身を起こし、しばらく流れをみつめてありしが、心はなお夢路をたどれるがごとく、まなざしは遠き物をながむるさまなり。外套のポッケットに差し入れし手先に触るる物あるをかれは堅く握りて眼を閉じつ。 この時犬高くほえしかば、急ぎて路に・・・ 国木田独歩 「わかれ」
出典:青空文庫