・・・どうしても完璧の瞞着が出来なかった。しっぽが出ていた。「僕はね、或る学生からサタンと言われたんです。」私は少しくつろいで事情を打ち明けた。「いまいましくて仕様が無いから、いろいろ研究しているのですが、いったい、悪魔だの、悪鬼だのというも・・・ 太宰治 「誰」
・・・もちろん新聞社などへ、はいるつもりも無かったし、また試験にパスする筈も無かった。完璧の瞞着の陣地も、今は破れかけた。死ぬ時が来た、と思った。私は三月中旬、ひとりで鎌倉へ行った。昭和十年である。私は鎌倉の山で縊死を企てた。 やはり鎌倉の、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・僕は、あなたに対して完璧の人間になろうと、我慾を張っていただけのことだったのです。僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまで・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・かならず一方に於いて、間抜けている。完璧は、静止の形として、発見されることが多い。それとも、目にとまらぬ早さで走るか、そのいずれかである。沈黙している作家の美しさ、おそろしさも、また、そこに在るのであるが、私は、いまは、そんなに色気を多くし・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・青年、高須隆哉の舌打が、高野幸代の完璧の演技に、小さい深い蹉跌を与えた。 高須隆哉が楽屋を訪れたときには、ちょうど一幕目がおわって、さちよは、楽屋で大勢のひとに取り巻かれて坐って、大口あいて笑っていた。煙草のけむりが濛々と部屋に立ちこも・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 晩秋騒夜、われ完璧の敗北を自覚した。 一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。 私の瞳は、汚れてなかった。 享楽のための注射、一本、求めなかった。おめん! の声のみ盛大の二、三の剣術先生を避けたにすぎぬ。「水の・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・いかにも完成された作品であり、豊かな完璧な作品にちがいない。だが、もう一寸何か皮膚にじかにふれて来る何かがあってもよくはないか。そんな感想にとらわれることはないだろうか。 鴎外は芸術家として生れ合わせた明治という時代の特質を、漱石とは異・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・鉄兵さんは完璧であるが退屈であるといい、しかし退屈という表現が当っていないと見え、友達たちは退屈とは云わぬ。「進路」でも作者と主人公がくっついていたが、そういうところがあるといね公が云って居ました。直子さんにきょう郵便局のところで会ったら感・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・正宗白鳥氏が先日、逍遙博士は文学の師であるばかりでなく生死に処する道を教えた方であるという感想を書いておられたが、私は坪内先生の一生をあるべきとこにあって完璧たらしめた先生の聰明、努力、達見、現実性を学ぶとすれば、それは私の時代のものにとっ・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
・・・こうした心情生活が、殆ど完璧の域にあったことの記憶の中に説明のつきかねることの往々ある離別の秘密がひそんでいるのだ。」「銭金のことは、どんなことでも円く行くもの、しかし感情は情容赦を知らないものである。」 バルザックがこれを知っ・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫