・・・夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕に通う風も涼しきに、家居続ける東京ならねばこそと、半は夢心地に旅のおかしさを味う。 七日、朝いと夙く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光す。涼しき中・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・た銀座のある商店の養子になっていた人から聞いた話によると、その実家というのが牛込の喜久井町で、そのすぐ裏隣りとかに夏目という家があった、幼い時のことだから、その夏目家の人については何の記憶もないがその家居のさまなどは夢のように想い出されると・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ 平生は行ったこともない敷居の高い家の玄関をでもかまわず正面からおとずれて、それとなく家居のさまを見るという一種の好奇心のようなものがこれらの小さいこじきたちの興味の中心であったように見える。大概の家では女中らはもちろん奥さんや娘さんま・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・終日家居して読書した。然るに未だ一年をも経ない中に、眼を疾んで医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の選科に入った。当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じ・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・岡本かの子さんのような芸術家は、和歌に同じような思想をうたい、女の家居の情を描いておられる。だが、現実の今日においては、家を守り子を守るためにこそ、家を外にしなければならない女の数はかえって殖えている。この必要を認め、女のそういう奮起、たく・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・長崎に切支丹伝道が始って間もなく建った、とーどのさんた寺の跡だという春徳寺や、怪談の絡まる切支丹井戸の在る本蓮寺などへ行って見る予定を変え、悠くり家居することにした。宿の高い欄干から外を眺めると、雨にけむる湾内の景色が見渡せる。眼下は、どこ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・妻に早世され、娘を早く喪ってからは店を手代にゆずって僧にもならず一種の楽隠居で、半年は旅に半年は家居して暮すという境遇の俳人、談林派の宗匠であった。町人に生まれ、折から興隆期にある町人文化の代表者として、西鶴は談林派の自在性、その芸術感想の・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫