・・・部屋の隅にいる陳彩と、寸分も変らない陳彩であった。これは房子だった「物」に重なりながら、爪も見えないほど相手の喉に、両手の指を埋めていた。そうしてその露わな乳房の上に、生死もわからない頭を凭せていた。 何分かの沈黙が過ぎた後、床の上の陳・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・迫った額、長い睫毛、――すべてが夜半のランプの光に、寸分も以前と変らなかった。左の眼尻に黒子があったが、――そんな事さえ検べて見ても、やはり確かに男だった。お蓮は不思議に思うよりは、嬉しさに心を躍らせながら、そのまま体も消え入るように、男の・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・前に河内山にとられたのと寸分もちがわない、剣梅鉢の紋ぢらしの煙管である。――斉広はこの煙管を持って内心、坊主共にねだられる事を予期しながら、揚々として登城した。 すると、誰一人、拝領を願いに出るものがない。前に同じ金無垢の煙管を二本まで・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ですから私は失望の色が、寸分も顔へ露われないように、気を使う必要があったのです。が、いくら努めてみても、どこか不服な表情が、我知らず外へ出たのでしょう。王氏はしばらくたってから、心配そうに私へ声をかけました。「どうです?」 私は言下・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・彼によりますと、ルウドウィッヒスブルクの Ratzel と云う宝石商は、ある夜街の角をまがる拍子に、自分と寸分もちがわない男と、ばったり顔を合せたそうでございます。その男は、後間もなく、木樵りがの木を伐り倒すのに手を借して、その木の下に圧さ・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・黒ん坊の王が持っているのと、寸分も違わない宝ばかりだ。一同 その靴が その剣が そのマントルが主人 しかしその長靴には、穴があいているじゃありませんか?王子 それは穴があいている。が、穴はあいていても、一飛びに千里飛ばれるのだ。・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・ 眉は、宗吉の思う、忘れぬ女と寸分違わぬ。が、この似たのは、もう一人の丸髷の方が、従弟の細君に似たほど、適格したものでは決してない。あるいはそれが余りよく似たのに引込まれて、心に刻んだ面影が緋縮緬の方に宿ったのであろうも知れぬ。 よ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 装は違った、が、幻の目にも、面影は、浦安の宮、石の手水鉢の稚児に、寸分のかわりはない。「姫様、貴女は。」 と坊主が言った。「白山へ帰る。」 ああ、その剣ケ峰の雪の池には、竜女の姫神おわします。「お馬。」 と・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・不思議や、蒔絵の車、雛たちも、それこそ寸分違わない古郷のそれに似た、と思わず伸上りながら、ふと心づくと、前の雛壇におわするのが、いずれも尋常の形でない。雛は両方さしむかい、官女たちは、横顔やら、俯向いたの。お囃子はぐるり、と寄って、鼓の調糸・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・円髷にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児らしい嬰児を抱いて、写真屋の椅子にかけた像は、寸分の違いもない。 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
出典:青空文庫