・・・二人とも十二、三でやはり緋の袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっとりと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森の路をもの静かにゆきちがった、若・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・一本の古びた筧がその奥の小暗いなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴くと、幽かなせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待はその水音だった。 どうしたわけで私の心がそんなものに惹きつけられるのか。心がわけても静かだったある日、それを聞き・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・道は小暗い谿襞を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さでいっぱいであった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅や楢の枝を匍うように渡って行・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・それを結んで小暗い風呂場から出てくると、藤さんが赤い裏の羽織を披げて後へ廻る。「そんなものを私に着せるのですか」「でもほかにはないんですもの」と肩へかける。「それでも洋服とは楽でがんしょうがの」と、初やが焜炉を煽ぎながらいう。羽・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺の辻音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初か・・・ 太宰治 「鴎」
・・・樫の木は、冬でも小暗い蔭を門になげている。家はがらんと人気ない。そこに、鎖につながれ、この斑の婆さん風な犬が私を見ている。――おまけに、その犬は、世間普通な犬の吠え方を知らないのか忘れるかしている。吠える声を聞くといつも遠吠えだ。死人の魂を・・・ 宮本百合子 「吠える」
出典:青空文庫