・・・間もなく、娘が、綾と絹とを小脇にかかえて、息を切らしながら、塔の戸口をこっそり、忍び出た時には、尼はもう、口もきかないようになって居りました。これは、後で聞いたのでございますが、死骸は、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 私たち三人は濡れたままで、衣物やタオルを小脇に抱えてお婆様と一緒に家の方に帰りました。若者はようやく立上って体を拭いて行ってしまおうとするのをお婆様がたって頼んだので、黙ったまま私たちのあとから跟いて来ました。 家に着くともう妹の・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇にかかえ、崖よりぬッくと出でて、薄原に顕れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄ら寒くなりおった。」 と呟くがごとくにいいて、か・・・ 泉鏡花 「清心庵」
一 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端に、近頃新開で土の色赤く、日当のいい冠木門から、目のふちほんのりと酔を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒たる人物がある。 黒の洋服・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・五十の上だが、しゃんとした足つきで、石いしころみちを向うへ切って、樗の花が咲重りつつ、屋根ぐるみ引傾いた、日陰の小屋へ潜るように入った、が、今度は経肩衣を引脱いで、小脇に絞って取って返した。「対手も丁度可かったで。」一人で駕籠を下すのが、腰・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・と言うと、つかつかと、入って来たのが、ここに居るこの女中で。小脇に威勢よく引抱えた黒塗の飯櫃を、客の膝の前へストンと置くと、一歩すさったままで、突立って、熟と顔を瞰下すから、この時も吃驚した目を遣ると、両手を引込めた布子の袖を、上下に、ひょ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ と、もう断り切れず、ちょっと待って下さい、いま店を畳みますからと、こそこそと見台を畳んで、小脇にかかえ、「お待ッ遠さん」 そして、「珈琲ならどこがよろしおまっしゃろ。別府じゃろくな店もおまへんが、まあ『ブラジル』やったら、・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・と名を付けたところへ出ると、方々の官省もひける頃で、風呂敷包を小脇に擁えた連中がぞろぞろ通る。何等の遠い慮もなく、何等の準備もなく、ただただ身の行末を思い煩うような有様をして、今にも地に沈むかと疑われるばかりの不規則な力の無い歩みを運びなが・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・おうちの近くのポストのところまで来て、小脇にかかえていたスルメの新聞包が無いのに気がつきました。私はのんき者の抜けさんだけれども、それでも、ものを落したりなどした事はあまり無かったのに、その夜は、降り積る雪に興奮してはしゃいで歩いていたせい・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・ 連れの日本人はその連れのドイツ女の青い上着を小脇にかかえて歩いていた。私は自分の重い外套をかかえて黙ってその後をついて行った。 丘を下りて桜の咲き乱れた畑地の中の径をあるいた。柔らかい砂地を踏みしめながらあるいているうちに、かつて・・・ 寺田寅彦 「異郷」
出典:青空文庫