・・・遥のかなたに小名木川の瓦斯タンクらしいものが見え、また反対の方向には村落のような人家の尽きるあたりに、草も木もない黄色の岡が、孤島のように空地の上に突起しているのが見え、その麓をいかにも急設したらしい電車線路が走っている。と見れば、わたくし・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 日は必ず沈み、日は必ず尽きる。死はやがて晩かれ早かれ来ねばならぬ。 生きている中、わたくしの身に懐しかったものはさびしさであった。さびしさのあったばかりにわたくしの生涯には薄いながらにも色彩があった。死んだなら、死んでから後にも薄・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯が尽きる北の果まで通らねばならぬ。「遠いよ」と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・ 一時間ほどで林は尽きる。尽きると云わんよりは、一度に消えると云う方が適当であろう。ふり返る、後は知らず、貫いて来た一筋道のほかは、東も西も茫々たる青草が波を打って幾段となく連なる後から、むくむくと黒い煙りが持ち上がってくる。噴火口こそ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・如露の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。 昔紫の帯上でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅くなっ・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転た水の流と人の行末という如き感慨に・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・の悪評が手始めで、内所の後評、廓内の評判、検査場で見た他楼の花魁の美醜、検査医の男振りまで評し尽して、後連とさし代われば、さし代ッたなりに同じ話柄の種類の異ッたのが、後からも後からも出て来て、未来永劫尽きる期がないらしく見えた。「いよい・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・食うても食うても尽きる事ではない。時々後ろの方から牛が襲うて来やしまいかと恐れて後振り向いて見てはまた一散に食い入った。もとより厭く事を知らぬ余であるけれども、日の暮れかかったのに驚いていちご林を見棄てた。大急ぎに山を下りながら、遥かの木の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・マリヤは、しんから科学の学問がすきで、そこに尽きることのない研究心と愛着とを誘われ、そういう人間の知慧のよろこびにひかれて、その勉強のためには、雄々しく辛苦を凌ぐ粘りと勇気がもてたのでした。このことは、彼女が同じソルボンヌ大学で既に数々の重・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・彼等は、毎日毎日いつ尽きるとも知れない見物人と、飽々する説明の暗誦と、同じ変化ない宝物どもの行列とに食傷しきっているらしい。不感症にかかっているようだ。悠くり心静かに一枚の絵でも味おうと思えば、我々はこれ等の宝物に食われかけている不幸な人々・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
出典:青空文庫