もとの邸町の、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。 弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 山国に育ったから、学問の上の知識はないが……蕈の名の十やら十五は知っている。が、それはまだ見た事がなかった。……それに、私は妙に蕈が好きである。……覗込んで何と言いますかと聞くと「霜こしや。」と言った。「ははあ、霜こし。」――十一月初・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・北国にても加賀越中は怪談多く、山国ゆえ、中にも天狗の話は枚挙するに遑あらねど、何ゆえか山男につきて余り語らず、あるいは皆無にはあらずやと思う。ただ越前には間々あり。 近ごろある人に聞く、福井より三里山越にて、杉谷という村は、山もて囲まれ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・「ああ、山国の門附芸人、誇れば、魔法つかいと言いたいが、いかな、さまでの事もない。昨日から御目に掛けた、あれは手品じゃ。」 坊主は、欄干に擬う苔蒸した井桁に、破法衣の腰を掛けて、活けるがごとく爛々として眼の輝く青銅の竜の蟠れる、角の・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが邦のごとき山国におけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すらダルガスの事業によって除かれたのであります。 かくのごとくにしてユトランドの全州は・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・斯様に、子供等がうるさくついたら、西洋人も散歩にならぬだろうと思われた。山国の渋温泉には、西洋人はよく来るであろう。けれど其れは盛夏の頃である。こう、日々にさびれて、涼しくなるといずれも帰ってしまう。今は、西洋人は此の二人よりないらしい。そ・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・彼は、藤本先生にも、「こちらへきて、幸福の一つは、晴れわたった青い空を見られることですが、それにつけ、いっそう、あのさびしい山国で、働く人たちのことを思います。」と、書いたのでありました。 ある日、彼は、往来のはげしいにぎやかな道を・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・が音はよく聞こえる水車、そこに幸ちゃんという息子がある、これも先生の厄介になッた一人で、卒業してから先生の宅へ夜分外史を習いに来たが今はよして水車の方を働いている、もっとも水車といっても都の近在だけに山国の小さな小屋とは一つにならない。月に・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・郷里が山国で夏中は雷雨が非常に頻繁であり、またその音響も東京などで近頃聞くのとは比較にならぬほど猛烈なものであったような気がする。これは単に心理的にそう思われたばかりでなく実際物理的にもそうであろうと思われる。そうしてその恐ろしさは単に落雷・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・自分の郷里の土佐なども山国であるからこうしたながめも珍しくないようではあるが、しかし自分の知る郷里の山々は山の形がわりに単調でありその排列のしかたにも変化が乏しいように思われるが、ここから見た山々の形態とその排置とには異常に多様複雑な変化が・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
出典:青空文庫